米離脱のイラン核合意 核兵器1発分まで「3カ月半」 バイデン政権でも遠い融和=会川晴之
1月20日に発足したバイデン米新大統領は、地球温暖化対策の国際枠組み「パリ協定」への復帰を決めるなど、トランプ前政権の政策を矢継ぎ早に覆す作業に取り組み始めた。だが、イラン問題への対応は「長い道のり」(ブリンケン新国務長官)との考えを示す。米、イラン双方とも核合意復帰に前向きな姿勢こそ示すものの、解決に向けた糸口は見えない。
トランプ米大統領退任まで3週間を切った今年1月初旬、アフリカ・ソマリア沖で訓練を終え、米本土への帰還準備に入っていた米原子力空母「ニミッツ」に国防総省から命令が届いた。「米国への帰還を取りやめペルシャ湾に向かえ」──。
1月3日は、イラン革命防衛隊の精鋭部隊である「コッズ部隊」のソレイマニ司令官が、イラクの首都バグダッド空港近くで米軍のドローン攻撃によって殺害されてから1周年に当たる。イラン最高指導者のハメネイ師は「適切な時期に米国に報復する」と述べており、トランプ政権は「イランからの報復もありうる」と身構えた。
空母に加えトマホーク巡航ミサイル154発を積む原子力潜水艦もペルシャ湾に10年ぶりに入ったほか、核兵器搭載可能なB52戦略爆撃機も昨年11月下旬以降、米本土からイラン周辺空域へと断続的に派遣した。一方、イラン側も軍事演習を重ねるなど有事に備える動きを見せた。
トランプ政権は2018年5月、国連安全保障理事会(米英仏中露)とドイツが15年夏にイランと結んだ核合意から一方的に離脱し、厳しい経済制裁をイランに課した。違反した者には米国の企業や個人以外でも制裁対象とする厳しい措置に、欧州や日本などが相次いでイラン産原油の輸入停止に踏み切った。イランの原油輸出は、制裁前の日量250万バレルから50万バレルまで急減。通貨リアルも暴落して輸入物価が急騰し、主食のコメや鶏卵までもが街から消えてしまう。
加速するウラン濃縮
核合意は、イランが大幅に核活動を縮小する一方、国連安保理が実施していたイラン制裁を全面解除することが柱だった。当時、イランは2カ所のウラン施設で濃縮度20%のウラン濃縮を続けており、イランは否定するものの、その気さえあれば「1年で核爆弾を製造できる」(ケリー元米国務長官)状況にあった。
当時、ホワイトハウスでイラン問題を担当した米コロンビア大学のリチャード・ネフュー上級研究員は、筆者の取材に「核兵器を持とうとしているのか、その意図を突き止めることは難しい。だから、我々は(核爆弾の原料となる)核物質の保有量に上限を設ける手法を選んだ」と答えた。物理的な制限がポイントだという解説だ。
核合意に伴い、イランは保有する濃縮ウランの97%を国外に搬出、2カ所のウラン濃縮施設を1カ所に絞った。濃縮に使う遠心分離機の数も4分の1に削減、それを10年間維持することも合意した。低濃縮ウランの保有量も202・8キロまで、濃縮度も15年間は3・67%までとそれぞれ定めた。核爆弾製造には約25キロの濃縮度90%以上の兵器級ウランが必要だが、核合意が機能している限り、イランの核兵器保有は限りなく遠のく。
これは、「核活動の停止は絶対に受け入れられない」というイランの体面を保ちつつ、「絶対に核武装させない」という実を取った仕組みだった。ただ、オバマ政権は「イランを信用しない」という考えは捨てず、カーター国防長官は核合意翌日、軍制服組トップに「イランの核施設に対する軍事オプションの更新を続けろ」と指示する。ネフュー氏は「10年から15年あれば、少なくとも対話の基礎をイランと築けると思った」と振り返る。
だが、17年1月に大統領に就任したトランプ氏は、核合意について「不完全な内容であり、イランの核兵器開発は阻止できない」などと批判し、18年5月に離脱を宣言した。イランの体制転換までを見据えたトランプ政権の戦略は、離脱1年後に暗転し始める。イランは制裁を「経済テロ」と非難し、19年5月から濃縮ウランの生産量拡大などに踏み切った。
最新の国際原子力機関(IAEA)の報告書では、イランの濃縮ウラン保有量は、合意上限の12倍に当たる2442キロ。稼働を止めていた濃縮施設も再稼働させ、今年1月からは20%濃縮も始めた。核爆弾に使う兵器級製造には60%、そして90%に濃縮する2段階の作業が必要だが、米シンクタンク、科学国際安全保障研究所(ISIS)のオルブライト所長は「持てる能力を総動員すれば、最短で3カ月半で核兵器1発分の量を作る能力がある」と分析する。
反米強硬派の勝利濃厚
バイデン新政権はこうした状況を打開できるのか。
イラン情勢に詳しい東京大学公共政策大学院の鈴木一人教授は「ブリンケン新国務長官、国家安全保障担当のサリバン新大統領補佐官は裏も表も知り尽くしている。大統領は新型コロナウイルス対策に注力しつつ、イランとの交渉は国務長官任せになるはずだ。イラン大統領選のある6月までには何とかなるのではないか」と述べ、米、イラン両国とも核合意正常化に向けた動きを強めると見る。
ただ、イラン大統領選では、国際協調派のロウハニ大統領の後任に、反米を掲げる保守強硬派が勝利する可能性が高い。ロウハニ政権中での解決を図るのが望ましく、時間との勝負になる。イラン専門家である慶応義塾大学の田中浩一郎教授は「ハメネイ師は『米国と交渉しない』と明言しており、欧州諸国が仲介役を果たせるかどうかがカギ」と、乗り越える壁は多いと見る。
ただ、イランにも弱みがある。米制裁による経済の悪化と新型コロナだ。イラン・イラク戦争の影響が残る1980年代に、日本大使館の専門調査員としてイラン滞在経験がある田中教授は「当時の劣悪な経済状況に比べれば、現在はまだまし」とは言うものの、120万人以上が感染する中東最悪規模のコロナ禍の打撃は大きい。イランが頼りとしていた陸上密輸ルートによる物資調達も国境閉鎖でままならないと言われる。
一方、イスラエルやサウジアラビアなど中東湾岸諸国には、米国とイランの接近をけん制する動きが出始めている。こうした国々は、イランの脅威への対処をパレスチナ問題などより優先する考えを示しており、イスラエルは米国の手助けを得て20年夏以降、アラブ首長国連邦(UAE)、バーレーン、スーダン、モロッコと相次いで国交を正常化。サウジは今年に入り3年前に断交したカタールとの国交正常化を果たした。
UAEのオタイバ駐米大使は昨年10月の講演で「米、イスラエル、UAE3カ国の軍事演習も選択肢」と踏み込み、イスラエルは湾岸諸国との合同でイランの弾道ミサイルの脅威に対抗するミサイル防衛(MD)網構築を呼びかける。さらにバイデン氏当選後の昨年11月22日には、イスラエルのネタニヤフ首相が極秘裏にサウジに飛んで、サウジの実力者であるムハンマド皇太子と会談した。
核査察縮小の瀬戸際
サウジのイスラエル接近の背景には、バイデン氏がサウジと一定の距離を取ろうとしていることへの反発がある。サウジ寄りの政策を取ったトランプ政権と違い、バイデン氏はサウジのイエメン空爆で多数の民間人が死傷していると批判し、武器輸出を停止する考えを示す。
イスラエル・サウジ首脳の会談から5日後には、「イランのオッペンハイマー(原子爆弾開発を主導した米物理学者)」と呼ばれる核科学者ファクリザデ氏がテヘラン郊外で暗殺される事件も起きた。イランはイスラエルが関与したと受け止め、反米、反イスラエルの保守強硬派の勢いが一段と増し、米国との再接近を目指そうとするロウハニ師の政策自由度が狭められている。
79年のイラン革命後の米国とイランとの関係は対立一辺倒ではない。01年のアフガニスタン戦争では、イランのザリフ副外相(現外相)と米国務省幹部が欧州などでたびたび接触、イランはタリバン政権や潜伏する国際テロ組織アルカイダの極秘情報を提供、関係修復を図ろうとした。だが、ブッシュ(子)政権が02年1月末の一般教書演説でイランをイラク、北朝鮮とともに「悪の枢軸」と糾弾した。
ジェットコースターのように激しい動きを続ける両国は、バイデン政権の誕生で新たな展開を見せるのか。イラン議会は昨年12月、2カ月以内に欧州諸国が米国による制裁解除に道を開かなければ、IAEAの核査察縮小などを盛り込む法案を可決した。その施行の2月21日まであと1カ月を切る。それへの対応が、最初の試金石となりそうだ。
(会川晴之・毎日新聞専門編集委員)