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経済・企業 日本の「正しい壊し方」を考える

なぜ日本には「マトモなオトナ」がいないのか? 経営コンサルタントが見た「エヴァンゲリオンの終焉」と日本社会の現在地

シン・エヴァンゲリオン劇場版 公開に合わせた東京スカイツリーの記念撮影ブース=東京都墨田区で2020年12月24日、岸達也撮影
シン・エヴァンゲリオン劇場版 公開に合わせた東京スカイツリーの記念撮影ブース=東京都墨田区で2020年12月24日、岸達也撮影

平成から令和にかわった今、「エヴァンゲリオン」が終わることの「意味」

私は『経営コンサルタント 兼 経済思想家』という肩書で普段仕事をしているのですが、今回エコノミストオンラインから寄稿依頼を受けるにあたって、初回記事ではまず、現在大ヒット中の映画「シン・エヴァンゲリオン」について語ってほしい……と言われて、考え込んでしまいました。

難解なエヴァンゲリオン・シリーズのストーリーについて深く解説するような記事は私には手が余るので、最初のエヴァンゲリオン・テレビシリーズがはじまった1995年から今年までの26年間の日本の変化と、そしてそのシリーズが今年終わることの意味について、いろいろな経済社会的変化とエヴァンゲリオンのストーリーの構造とを関わらせながら、考えてみたいと思います。

単純化して言うと、

「マトモなオトナ」がいない空白をなんとか埋めようともがいてきた26年間のために必要だったのがエヴァンゲリオンシリーズ

であり、

「マトモなオトナ」を皆で協力して押し上げる方向へ進む決意を持って、エヴァンゲリオンシリーズは幕を閉じたのだ・・・

という話なのだと私は考えています。

1 「1995年」から続く、26年間の暗中模索

1995年の日本の風景は、今とは随分違っていました。

なにしろ、「一人あたりGDP」が世界2位(ある程度以上の規模のある主要国では1位)というお金持ちぶり、「経済大国日本」は健在でしたからね。

しかし一方で、阪神大震災や地下鉄サリン事件といった大きな事件も相次いでいて、バブル経済の崩壊も明らかになっていました。

地下鉄サリン事件。ハンカチなどで口を押さえながら、レスキュー隊員らに救出された被害者=1995年3月20日撮影
地下鉄サリン事件。ハンカチなどで口を押さえながら、レスキュー隊員らに救出された被害者=1995年3月20日撮影

そんな中、今まで必死に経済発展を求めて頑張ってきた「昭和以来の日本のあり方」が曲がり角を迎え、「このままでいいはずがないのはわかっているがどうしたらいいのかは全くわからない」という不安が社会に満ちていた、という状況だったと思います。

当時私は高校生でしたが、90年代を通して「潰れるはずがなかった」大きな金融機関が次々と潰れていったりする中、若い世代から見れば「今までとは違う」何か進むべき道があるのではないか?と感じる反面、周囲のオトナたちは結局「今までの延長」以外の道を指し示してはくれないという不満感があったように記憶しています。

そんな中で放送開始したエヴァンゲリオンシリーズは、とにかく「マトモに配慮して接してくれるオトナがいない」「子供である主人公が無理強いされて大変な試練に合う」というストーリーが印象的でした。

一方で、今までなにげなく共有できてきた社会の安定感がバラバラにほどけてしまうという不安感を、必死に埋め合わせるかのような切実な願いが、「人類補完計画」という謎めいた設定には込められていたように思います。

人類が「個人」という単位から解き放たれ、直接「みんな」と一体となってわかりあうことで、今の社会の不安から逃れられるのではないか?という「人類補完計画」の夢想は、しかし結局はストーリーの中でも完全には実現せずに終わります。

それからの日本の26年間は、「個」と「みんな」との間の綱引きの中で、どちらにも進めずに混乱をし続けてきたと言ってもいいかもしれません。

これからは「個」の時代だ……と突っ張ってみては、結局果てしない弱肉強食の世界に突き進んでしまい、自分たちの良さを失ってしまいそうな恐怖心を感じて、また「みんな」ベースの世界に戻ってくる。

経済財政諮問会議に臨む小泉純一郎首相(左)と竹中平蔵・経済財政相(2001年9月11日撮影)
経済財政諮問会議に臨む小泉純一郎首相(左)と竹中平蔵・経済財政相(2001年9月11日撮影)

しかし結局「みんな」が「個」を圧殺しているような空気が息苦しくなって、また「個だけ」がある世界を夢想してみたりする。

結局その繰り返しの中でどちらにも大きく進んで行けずにグジグジと衰退してきた時代であったと、そう感じる人も多いのではないでしょうか。

2 ひたすら個を追求する「第一波グローバリズム」に抵抗しつづけた日本社会

一方で、日本以外の諸外国におけるこの26年間は、「グローバリズム」が個の力を解き放ち、経済社会の構造が大きく変化し続けた時代でした。

急激に進んだIT分野のイノベーションが、世界を緊密に結びつけ、「個」の力を思う存分発揮した存在が、巨大な富を独占する時代。

2001年3月期の黒字確保への自信を強調する日産自動車のゴーンCOO(2000年5月22日撮影)
2001年3月期の黒字確保への自信を強調する日産自動車のゴーンCOO(2000年5月22日撮影)

日本はその「大競争の時代」にも、どこか引きこもりがちで、内輪の利害調整的なものに足を取られ、結果として鈍重な動きが続いて、経済では一人負けのような様相が続いてきたところがあります。

しかし、アメリカをはじめとする、この26年間全力でアクセルを踏み込んで経済成長した国では、「持てる者と持たざる者」の分断があまりに激しくなってしまい、経済的格差だけでなく文化的分断も進んで、同じ国を共有しているという意識の維持が難しくなり、民主主義的な制度が危機に瀕するところまで行ってしまいました。

一方で日本では、お金持ちもそうでない人も、まだ一応同じコンビニとラーメン屋と漫画を共有していて……という紐帯が維持されている。

果てしない「個」の追求が経済発展と社会の分断をもたらした、ここまでの世界の流れを、私は「第一波グローバリズム」と呼んでいます。

それは20世紀の米ソ冷戦が終わり、アメリカだけが唯一のスーパーパワーとなることで、世界のあらゆるものが「アメリカ的」な運営に染まっていく流れの中で起きたことでした。

しかし、そういう「第一波グローバリズム」の問題点が明らかになる中で、世界の潮流は徐々に反転しようとしています。

いわゆる「ネオリベ」的な市場原理主義への抵抗という流れも出てきていますし、政治的にも「米中冷戦」という形で「なんでもアメリカ型がいいよね」という時代は終わりを迎えつつあります。

「グローバル」な流れと「その社会」、そして「個」と「みんな」を、何らかの形で調和させていかないと、ゴリ押しにどちらかが押し切るだけでは限界があるよね……という事が見えてきた時代になっている。

私はその新しい流れを「第二派グローバリズム」と呼んでおり、「第一波」の時代に必死に抵抗して内輪の紐帯を守ってきた日本が、これから「ウサギとカメの競争」のような形で徐々に自分たちなりの力を発揮できるようになっていくはずだ……と考えています。

3 「シン・エヴァンゲリオン劇場版」で「マトモなオトナ」が描かれたのはなぜか

今回の「シン・エヴァンゲリオン劇場版」で印象的だったのは、「マトモなオトナ」が沢山いたことですよね。

「オトナ」の人たちが、自分たちが進んでいくべき方向をしっかり理解していて、しかも協力しあって社会を形作り、運営している。

しかも、「黙って従え」的な昭和なマネジメントスタイルではなく、傷ついたシンジくんのことを、押し付けがましくもなく、見捨てるでもなく、距離をおいて見守ってくれる、スマートな「オトナ」たちがいる世界。

一方で、「人類補完計画」的な、「個」を捨てて全体と同一化するようなビジョンについては、これまで以上に徹底的に「拒否」する展開になっていました。

ざっくり言えば、「エヴァの世界」と耽溺しながらこの26年間、「人類補完計画」の幻影にすがることで、日本人は「個」だけに振りすぎないように、必死に内輪で寄り集まって変化に抵抗し、自分たちの紐帯がバラバラになってしまわないように抵抗してきたわけです。

しかし世界的に「第二波」グローバリズムの時代が来つつある今、私たちは「マトモなオトナ」をちゃんと自ら作り出し、そこを頼りにすることで、「個」を押しつぶして全体と一体化するような動きへの決別を選ぼうとしている……と言えるかもしれません。

4 「個」の長所を消さない、「マトモなマネジメント」が求められている

例えば日本のアニメ業界は、「自分たちの価値観」を守るために、アニメーターの低賃金労働に依存してきました。

そうやって採算度外視で「とにかく自分たちが好きなものを作る」をやり続けてきたからこそ、オリジナリティが保たれているのでしょうが、しかしそういうものは持続不可能だという事も見えてきた。

最近では、ネットフリックスなどをはじめとして、国内でなく世界を市場として配信し、しかも違法コピーでなく、ちゃんと薄く広く世界で課金収入を得るモデルが登場しています。

そういった新しい「オトナのマネジメント」が浸透し、徐々にですがアニメ業界の経済的問題は改善に向かいつつあるようです。

シン・エヴァンゲリオン劇場版を作った庵野監督のスタジオも、映画作りという売上の振れ幅の大きいビジネスを妥協せずに行うために、不動産投資などを組み合わせることでキャッシュフローの安定化を図っているそうです。

「自分たちが本当に描きたいもの」を妥協せずに描き続ける。

そのためにこそ、「マトモなオトナのマネジメント」をちゃんと組み合わせる。

そういう未来が見えてきている。

「個」を押しつぶしてしまわなくても、「みんな」との調和は実現できる。

シン・エヴァンゲリオン劇場版は、そういう未来を描こうとしているのではないでしょうか。

いやいや、俺のまわりじゃ、まだまだ「個」を押しつぶしてなんとか集団の和を保ってる例ばかりだよ!!

……と、思われる方もいるかもしれませんが、「マトモなオトナ」を選択して押し上げて、みんなで協力していく事は、やっとその入り口が見えてきた、私たち一人ひとりのこれからの課題なわけですね。

「エヴァシリーズ」の終焉とともに、この26年間の「人類補完計画の幻想」とも決別し、「マトモなマネジメントでちゃんとみんなに配慮する」日本にしていきたいですね。

倉本圭造(くらもと・けいぞう)

1978年神戸市生まれ。兵庫県立神戸高校、京都大学経済学部卒業後、マッキンゼー入社。国内大企業や日本政府、国際的外資企業等のプロジェクトにおいて「グローバリズム的思考法」と「日本社会の現実」との大きな矛盾に直面することで、両者を相乗効果的関係に持ち込む『新しい経済思想』の必要性を痛感、その探求を単身スタートさせる。

まずは「今を生きる日本人の全体像」を過不足なく体験として知るため、いわゆる「ブラック企業」や肉体労働現場、時にはカルト宗教団体やホストクラブにまで潜入して働くフィールドワークを実行後、船井総研を経て独立。企業単位のコンサルティングプロジェクトのかたわら、「個人の人生戦略コンサルティング」の中で、当初は誰もに不可能と言われたエコ系技術新事業創成や、ニートの社会再参加、元会社員の独立自営初年黒字事業化など、幅広い「個人の奥底からの変革」を支援。

著書に『21世紀の薩長同盟を結べ』(星海社新書)、『日本がアメリカに勝つ方法』(晶文社)。

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