経済・企業

日本の経営者にはびこる「無責任の体系」、日本の未熟な資本主義の末路を予言していた小室直樹氏

小室直樹博士(1932〜2010年)=東京工業大世界文明センター提供
小室直樹博士(1932〜2010年)=東京工業大世界文明センター提供

 地面師事件、クーデターを経て株主総総会でのプロキシファイト(委任状争奪戦)に発展した積水ハウスは、ガバナンスを軽視する日本の企業不祥事を絵にかいたような例だった。その顛末を筆者は『保身 積水ハウス、クーデターの深層』にまとめたが、昨今の東芝騒動も、まさにガバナンス意識を欠いた経営者たちの失態だった。

 なぜ日本では企業不祥事が絶えないのか。前編は「経営者はなぜ「隠ぺい」が好きなのか?経営トップの不祥事を封じる手立てがない日本で起きたオリンパス事件、積水ハウス地面師事件、東芝問題」

日本の末路を予見していた『小室直樹の資本主義原論』

 実は、こうした事態を予見していたかのような「教科書」が存在した。学際的社会科学研究者として名高い小室直樹博士(1932〜2010年)の著書『小室直樹の資本主義原論』(東洋経済新報社・1997年)である。

 日本人の未熟な資本主義観は、やがて行き詰まり、大きな摩擦を生じさせる。そうした危機感に溢れる同著は24年も前に書かれたものだが、積水ハウスや東芝問題をはじめとする日本の数々の企業不祥事を予言していたかのような内容だった。

 筆者が注目したのは、小室博士が指摘する、日本人の資本主義観と欧米人のそれとの大きな隔たりである。

経済産業省の官僚らが株主に圧力をかけたとされる問題で紛糾した東芝の株主総会の会場前=東京都新宿区で2021年6月25日、井川諒太郎撮影
経済産業省の官僚らが株主に圧力をかけたとされる問題で紛糾した東芝の株主総会の会場前=東京都新宿区で2021年6月25日、井川諒太郎撮影

会社を支配するのは誰か?

 その隔たりとは「株式会社は誰のものか」という資本主義の根幹に関わるものである。

 日本では頻繁に「会社は誰のものか」という議論が行われ、従業員も含む社会のものだという主張が大勢を占めてきた。

 会社の公益性という観点からすると、そうした主張にも意味がある。しかし、法律の上での権利と義務とを伴って会社を「所有し、支配しているのは誰か」ということについては、筆者も含む日本人の間では明確に意識づけられてこなかった。

 株式会社の場合、会社は当然「株主」のものである。

「資本主義的所有は“絶対”である」

 その上で小室博士は、同著で「資本主義的所有は、『絶対』である」と説く。

 所有の絶対性は、商品を取引するのと同時に商品の所有権が明確かつ一義的に移転されることで生産力を飛躍的に拡大してきた資本主義の資源配分機能を支える根幹である。だからこそ、所有の絶対性は日本の民法でも明確に定められている。

 民法206条に「所有者は、法令の制限内において、自由にその所有物の使用、収益及び処分をする権利を有する」とあるのがそれだ。

 小室博士は、この民法の規定を「言わば、資本主義宣言」であるとし、欧米資本主義諸国においては、当たり前すぎることであると説いた。

 ところが、「日本などの資本主義未熟国においては、法律上はそのように決められてはいるが、実効性に乏しい」と小室博士は指摘した。なぜなら、日本人の考え方において「所有」は、伝統的に、実効的な「支配」と密接に結びついているからだ。

『日本的革命の哲学 日本人を動かす原理』(PHP研究所・1982年)の著書u山本七平(1921~1991年)1989年8月16日撮影
『日本的革命の哲学 日本人を動かす原理』(PHP研究所・1982年)の著書u山本七平(1921~1991年)1989年8月16日撮影

山本七平の「所有の概念」に着目した小室博士

 小室博士は、日本人の所有の概念について、評論家の山本七平(1921~1991年)の著書『日本的革命の哲学─ ─日本人を動かす原理』(PHP研究所・1982年)に着目した。

 山本は、鎌倉幕府の第3代執権である北条泰時(1183~1242年)が定めた武家の成文法典『貞永式目』(『御成敗式目』とも呼ばれる)を典拠として、鎌倉時代の「所有」の概念は「その財産を『抽象的ではなく具体的に保持し、かつ経営し機能させている者』に所有権ありとするものだった」と述べている。

 例えば、幕府から所領や知行を授かって、それを「『占有しかつ機能させている』、あるいは『現実に支配している』と解釈するべき」ものが、所領地や知行地の所有者なのである。

 これが昨今にも色濃く残る日本社会における「所有」の概念なのだという。

 これを、小室博士は「資本主義とは対蹠(筆者注・正反対の意)的である。向かい合わせた足の蹠(筆者注・裏の意味)程にも正反対なのである」と書いている。

 日本人の「所有」の概念と資本主義的所有の概念との間には、これほど巨大なギャップがあるというのだ。

「会社の所有者は経営者」と捉える日本人

 つまり日本人は、心のどこかで、会社の所有者は経営者だと捉えている。経営者も会社を我が物と捉える考えを持っている。

 こうした日本的伝統は資本主義とはほとんど相いれないものであり、経営者が、「自分が会社を所有し支配している」などと思い上がれば、会社の私物化は鮮明となり、当然、会社の真の所有者である株主との対立は激しくなる。

東芝株主総会に出席する株主ら=東京都新宿区で2021年6月25日、井川諒太郎撮影
東芝株主総会に出席する株主ら=東京都新宿区で2021年6月25日、井川諒太郎撮影

「株主はカネだけ出せばいい」

 また「経営者が会社を支配している」という資本主義の原則から完全に外れた壮大な勘違いは、経営者が従業員たちを絶対的に支配することを現実のものとする。

 また資本主義において会社を本来所有している株主を会社経営から遠ざけようという意識につながっている。「物言う株主」という言葉は、株主が経営者に対して物言うことは異常事態であり、株主はカネだけ出して経営者に黙って従っているのが当然だという思考を反映しているからだ。

 そうした経営者の資本主義の原則に反する欺瞞を、資本主義において会社の真の所有者である株主が放置すれば、経営者は誰にも責任を持たない「無責任の体系」がはびこり、経営者による身勝手な隠蔽が横行することになる。

 そうした経営者にとって、ガバナンスを機能させないほうが「保身の役に立つ」という打算に繋がっていくことは、至極当然のことだろう。

中期経営計画を発表し、厳しい表情を見せる東芝の車谷暢昭会長兼CEO=東京都港区で2018年11月8日、小川昌宏撮影
中期経営計画を発表し、厳しい表情を見せる東芝の車谷暢昭会長兼CEO=東京都港区で2018年11月8日、小川昌宏撮影

コーポレート・ガバナンスとは立憲主義である

 小室博士は、資本主義を採用していながら日本的所有感覚で資本主義を運用することが、如何に危険極まりないか、警鐘を鳴らし続けた。経営者も株主も日本的所有感覚で資本主義を実行すれば、必然的に、齟齬や矛盾が資本主義のあちこちに噴出するからだ。

 実際、小室博士が指摘した通り、過去10年間にオリンパス、東芝、関西電力、日本郵政、そして積水ハウスで、ガバナンス不全による深刻な不祥事が相次いでいる。

 コーポレート・ガバナンスとは、会社に出資している株主の「一株一票」制に基づく株主民主制を担保して、経営者を監督することである。資本主義において、それでしかありえない。

経営者による従業員の監視こそガバナンス」という恐るべき誤解

 ところが、日本では、会社が従業員を監督することがコーポレート・ガバナンスだと完全に誤解されている。

 それと並行して国家の運営においても、「公文書」の改竄を平然と行い恥じるところがない政治家が統治機構を私物化しているが、それに対する国民の怒りの声は限定的である。近年の憲法改正議論でも、為政者を統制するという憲法の本質がゆがめられ、憲法改正を政府による国民監視の強化に利用しようとする政治家の台頭を許している。

立憲主義すら理解できない日本人

 そもそも立憲主義すらまともに理解できない日本にコーポレート・ガバナンスは浸透するのだろうか。

 このままでは、為政者と経営者の「保身の体系」だけが増殖していくことになりかねない。

(藤岡雅・ライター)『保身 積水ハウス、クーデターの深層』はこちら

『保身 積水ハウス、クーデターの深層』藤岡雅著
『保身 積水ハウス、クーデターの深層』藤岡雅著

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