経済・企業 経済は戦国大名に学べ
「成長」か「分配」か 民の負担軽減で関東の大国 北条氏
北条氏 「民の負担」減らして関東を支配 戦国の案内人 黒田基樹
戦国時代は北条早雲(伊勢宗瑞(そうずい))から始まったとも言われる。早雲に始まる北条氏が、当時としては異例の5代100年も続き、関東を支配できた理由は。(経済は戦国大名に学べ 特集はこちら)
黒田 早雲は印判状という新しい公文書のスタイルを作ったが、その印文(ハンコに彫られている文字)に「禄壽應穏(ろくじゅおうおん)」という言葉を使っている。意味は領民の命と財産の安泰。つまり、これを治政(ちせい)の方針に掲げたということだ。そもそも政治スローガンというものを掲げたのは、確認できる限り、早雲が初めてで、民の安泰を治政方針として明確に表明しているのは、北条氏と「天下一統」後の羽柴(はしば)(豊臣(とよとみ))秀吉(ひでよし)だけだ。
戦国時代は飢饉(ききん)が日常のような時代。当時は地域の領主(大名の家臣など)が、自らの領民に勝手に税をかけ、暴力的に取り立てているのが一般的だった。北条氏も当初は、家臣に取り立てを行わせていたが、飢饉などの災害復興対策に取り組む中で、村が直接、北条家に税を納める仕組みを作った。具体的には、納税期限と税額を明記した納税通知書を発行し、領民が自ら税を納めにくる。税の種類も簡素化し、一律の税率基準も作った。
家臣が税を取り立てる仕組みだと、領民との間でトラブルが起きる。事実、全国で多数のトラブルが発生した。北条氏は納税のシステムを変え、飢饉時には減税するなど、領民に対してきめ細かな政治を行った。こうしたことが、北条氏を関東の大勢力に成長させた根底的な要因ではないかと考える。このような治政は、北条氏が日本で初めてだ。他の戦国大名はここまで突き詰めた領国経営はしていない。北条氏から見れば、織田信長の領国経営などは50年は遅れていると言ってよいと思う。
戦国大名は初の領域国家
そうした北条氏の治政から得られる示唆は何か。
黒田 北条氏の第2代当主・北条氏綱(ほうじょううじつな)は、息子の氏康(うじやす)(第3代当主・北条氏康)への遺言で、「(敵の)上杉家(関東上杉家)が戦争に勝てないのは、民からしぼり取っているからだ」と言っている。織田信長も武田勝頼(たけだかつより)を滅ぼした時に、「勝頼は民から(税を)取り過ぎたので滅びた」と言っている。
戦国大名というのは、日本最初の領域国家だ。領域国家は領域内の富によって、政治権力が成り立っている。現代も領域国家なので同じ。だから、戦国時代も現代も、納税者がしっかり生活できる状況でないと政治権力は成り立たないということだ。民に犠牲を強いて経済成長した例があっただろうか。今の日本は、頑張って働いても給料は下がっている状況だ。だから経済が成長しない。早雲はそうしたことを明確に認識していたのだと思う。
領民の生命と財産を保障し、平穏無事の社会にするという発想は、領域国家だからこそ出てくる発想であり、戦国時代に初めて出てきた概念だ。それ以前の政治権力には、そうした考え方はなかった。戦国時代は領域国家の出発点であり、近代国家の起源にあたる時代。そこで見えてくる原理は、当時も現代も同じだということだ。
(黒田基樹・駿河台大学法学部教授)
(聞き手=和田肇・編集部)
■人物略歴
黒田基樹(くろだ・もとき)
1965年東京都生まれ。早稲田大学教育学部卒業。博士(日本史学)。『戦国大名・伊勢宗瑞』(角川選書)、『戦国北条家の判子行政 現代につながる統治システム』(平凡社新書)、『今川のおんな家長 寿桂尼』(平凡社)など著書多数。