日銀 「指し値オペ」は緩和の強化 賃金上昇なければ「悪い円安」=熊野英生
日本の長期金利(10年物国債利回り)が0・25%に近づいている。日銀は昨年3月、長期金利の変動幅を上下0・20%まで許容する方針を見直して、同0・25%まで広げることにした。イールドカーブ・コントロール(長短金利操作)では長期金利が0%程度になるように、長期国債の買い入れを行うことにしている。(利上げが来る! 特集はこちら)
昨年3月の変動幅拡大に沿う形で、日銀は今年2月10日、長期金利の上昇を抑える目的で、国債を無制限に買い入れる「指し値オペ」を14日に実施すると発表。この日、長期金利が一時0・23%まで上昇したことに対応するものだ。
日本の長期金利上昇は、米長期金利上昇に連動したものなので、今後、米国のインフレ圧力が高まり、米連邦準備制度理事会(FRB)の利上げの見通しが前倒しされると、場合によっては0・25%を突破することも十分にありうる。日銀にとっては、長期金利を長期国債の買い入れによって、0・25%にくぎ付けにする操作をせざるを得ない場面となる。
この操作は、日銀のバランスシートを拡大させる。量的緩和の強化だ。FRBが資産縮小(QT)に2022年後半に着手しようとしている時に、日銀は正反対の緩和に動くことになる。日米の長期金利差も拡大し、為替レートは円安・ドル高がさらに進むだろう。
欧州中央銀行(ECB)も、22年内のどこかで政策金利の引き上げを開始する可能性が出ている。これに先行して、英中銀のイングランド銀行(BOE)も21年12月、22年2月と2回の利上げを実施している。欧米中銀がインフレ警戒の構えに転じて、金融引き締めに動こうとする中で、日銀だけが緩和拡大をする印象が長期国債の買い入れの増額によって強まる。為替レートは対ドルだけではなく、ユーロなどに対しても独歩安の図式になることも考えられる。
輸入物価は大幅上昇
日銀は、黒田東彦総裁が就任(13年3月)して以降、金融政策によって物価上昇を促す政策を9年間にわたって展開している。その手法は、円安を通じて国内物価を上げるというものだった。今、その効果はようやく消費者物価にも波及し始めている。
日銀が発表する輸入物価指数(円ベース)は22年1月、前年同月比37・5%上昇と大幅に上がっている。この伸び率のうち、9・5%が円安によるものだ。それが企業の取引価格を押し上げている。輸入品と国内品を合わせた国内需要財の価格は前年同月比15・4%上昇した。コスト押し上げ圧力は川上から川中、そして川下へと波及してきており、企業が生産する消費財価格は4・4%まで上がっている。
消費者物価も上昇している。総務省発表の消費者物価指数を財とサービスに分けると、財価格は21年12月、3・4%上昇(生鮮食品除くと3・0%上昇)している。財価格は、輸入品高騰の影響が波及して、連鎖反応のように上昇している。身近な食料品が軒並み高騰し始めていることは周知の事実だ。
「してやったり」?
消費者物価のサービス価格は、1・9%下落と減少幅が大きい。サービスは、輸入の影響を受けにくい。それでも、22年4月になると、その1年前に行われた携帯電話料金格安プランの大幅な押し下げが一巡する(図2)。携帯電話料金の要因は、現在は1・48ポイントも消費者物価全体を下押ししている。日銀が物価目標とする消費者物価指数(除く生鮮食品)も、今年4月には1・5%前後まで一気に上昇してもおかしくはない。
日銀にしてみれば、「してやったり」といったところだろう。23年4月8日に任期満了を控える黒田総裁は、任期中に2%の物価目標に対して最接近することができそうだ。しかし、そこですぐに金融緩和を修正するわけではない。日銀は、消費者物価が安定的に2%を上回るまでは、マネタリーベース(中央銀行が供給する資金量)の拡大を続けると言っている。
分かりやすく言えば、物価が2%を一時的に超えても、すぐに2%を割らないように、継続するかどうかを時間をかけて見極めるという制約を加えているのだ。それでは、食料品など生活コストが増加して、家計は苦しくなるばかりではないかという声が聞こえてきそうだ。賃金上昇によって生活コストの増加分を吸収できなければ「悪い円安」になってしまう。
焦点は、円安によって増えた企業収益を、輸出企業が賃上げの原資に回すかどうかにかかっている。岸田文雄首相は、賃上げ促進税制を用意して3%超の賃上げを目指す方針を表明している。しかし、筆者は円安は賃上げの原資にはなりにくいと考える。企業にとっては、いつ円安から円高へ戻るか分からないため、円安によって企業収益が増えても、安定した収益とは判断しないためである。
賃上げの持続が核心
むしろ、為替レートの変動にかかわらず、輸出数量が拡大することが賃上げの条件になる。しかし、そこには日本企業が常にコストダウンを目指して、人件費を縮減しようとしてきた強い慣行の壁がある。壁は、昔の円高恐怖症によって生まれたものだが、現在も一部の輸出企業はその慣行を引きずる。この壁を崩して、春闘などで定期的に賃上げができるかどうかが、デフレ脱却の核心となる。
日銀には、2%の物価目標以外にも隠れた壁がある。1000兆円に達しようとする政府の国債残高(21年度末で普通国債残高が990兆円の見込み)の利払い負担が、金利上昇によって増えることだ。日銀としては、政府の税収が十分に増えて、利払い費の増加を賄えることを確認してからでなければ、長期金利の目標を0%から引き上げることができない。
政府の利払い費は、借り換えが到来した分だけその時点の金利上昇によって増える。国債の平均償還年限は9年1カ月の見込み(21年度末)。物価2%が安定的に達成された時、賃金上昇によって所得税などの税収が勢いよく増えていけば、日銀は長期金利0%の方針を見直すだろう。だが、そこに至るには、まだ相当の距離がある。
(熊野英生・第一生命経済研究所首席エコノミスト)