資源・エネルギー

ロシアが仕掛けたエネルギー戦争で、ドル以外の国際決済通貨が生まれる

2022年4月19日号の表紙
2022年4月19日号の表紙

 日本のエネルギー危機が現実になろうとした瞬間だった。福島県沖で3月16日に起きた最大震度6強の地震。震源域に近い相馬共同火力発電の新地発電所(同県新地町)で石炭を陸揚げする巨大な設備が損壊し、他にも東京電力管内に送電する火力発電所が停止したことで、首都圏を中心に東日本で電力需給が逼迫(ひっぱく)。何とか他の電力会社から融通を受けるなどして乗り切ったが、ブラックアウト(大停電)寸前に追い込まれた。(世界エネルギー大戦 特集はこちら)

 2011年3月の東日本大震災後、日本では原子力発電所が相次いで稼働を停止し、世界的な脱炭素の流れを受けて二酸化炭素排出量の多い石炭火力発電も縮小を余儀なくされる。しかし、風力発電などの再生可能エネルギーも安定供給には心もとない。そうした中で日本が頼ったのが、二酸化炭素排出量が石炭の約半分の液化天然ガス(LNG)だった。日本の10年度の電源構成で29%を占めていたLNGは、19年度は37%にまで増加している。

 日本にとってまさに命綱のLNGだが、ロシアのウクライナ侵攻が調達危機に拍車をかけた。

 日本はロシア極東のサハリン州で石油・ガス開発事業「サハリン2」に参画し、LNGを日本へ輸出している。さらに、ロシア北極圏のLNGプロジェクト「アークティックLNG2」にも三井物産などが権益を持ち、日本への輸出を目指していた。そうしたプロジェクトが侵攻によって撤退や中断の可能性も出てきたのだ。

 岸田文雄首相は3月31日の衆院本会議でサハリン2から撤退しないと明言。4月1日には萩生田光一経済産業相が閣議後の会見で、アークティックLNG2についても「撤退しない」と表明した。確かに、ロシア産LNGは輸送距離の近さや中東依存からの脱却など、調達源の多様化には欠かせない。しかし、ロシア産LNGの輸入が難しくなれば、日本のエネルギー危機はさらに深刻化する。

 しかし3月23日には、ウクライナのゼレンスキー大統領によるロシアへの制裁継続を訴えるオンラインによる国会演説が行われ、反ロシアの機運が高まっていた。それでも首相と大臣が「撤退せず」と早々に表明した背景には、米国の意向が強く働いていた。3月8日の週に、米国務省が原油高で亢進するインフレを警戒し、ロシア産原油の輸入制限を日本に求めない姿勢を明確にしたからだ。

米欧のSWIFTからロシア排除に慄いた新興国

 ロシアのウクライナ侵攻は、日本をも巻き込む“エネルギー戦争”を引き起こしただけではない。すでに“通貨戦争”の様相も呈している。

 対露経済制裁の一環として今回、米欧が国際銀行間通信協会(SWIFT)からのロシア排除などを決め、ロシア経済に大きな影響が及ぶことが見込まれるが、これに戦慄(せんりつ)したのが中東産油国など非西側諸国だった。

 国際決済に詳しいある機関投資家は「非西側諸国は、米欧に決済インフラを握られていては国際貿易の息の根を止められる、と恐怖を覚えている」と明かす。

 米ドルやユーロへの依存度を引き下げようという動きはすでに始まっているようだ。3月15日にはサウジアラビアが中国への石油輸出の一部を、ドル建てから人民元建てに変更することを検討していると米紙が報じた。

 実は貿易決済通貨の多極化はロシアのウクライナ侵攻の前から静かに始まっている。

 SWIFTによれば今年1月、国際決済通貨における人民元のシェアはすでに円を抜いており、3・2%と過去最高になった(図1)。

 人民元だけではない。

 今年2月にはインドがベラルーシの国営肥料大手からインド・ルピー建てで肥料のカリを100万トン輸入する可能性があることが明らかになった。ベラルーシが欧米の制裁でドルやユーロの取引を制限されていたからだ。

ルーブルは侵攻前の水準に

 経済制裁に伴って一時、対米ドルで7割近くも暴落していたロシアの通貨ルーブルも、4月に入って侵攻前の水準に戻している。

 ロシアのプーチン大統領が経済制裁への対抗策として、3月5日付の大統領令で米欧日などの「非友好国」への債務の返済にルーブル建てを認めたことなどを契機にルーブルは反発。プーチン大統領は3月末、ロシア産天然ガスの支払いをルーブル建てとするよう義務付けた。  

これに対し、欧州委員会はロシア産ガスの供給を受ける欧州の企業に対し、契約でユーロかドルでの支払いが規定されている場合、ルーブル建て払いに応じるべきでないとの見解を示していたが、ハンガリー政府は4月6日、ロシア産ガスの代金を要求通りルーブル建てで払う用意があると表明。EU内に亀裂が入り始めている。

ペトロダラーに風穴?

 サウジ、インド、ハンガリーの動きは、エネルギーの決済通貨として機能してきたドル基軸通貨体制をゆさぶり始めている。

 米国は、1971年に金・ドル交換を停止し(ニクソン・ショック)、変動相場制に移行した際、ドルの国際基軸通貨としての地位を維持するために、サウジアラビアに対し原油価格の引き上げを認める一方、あらゆる国が必要とする石油(ペトロ)をドルのみで取引する体制を構築してきた。

 世界最大の貿易商品である原油をドル決済とすることで産油国から米国債として本国にマネーを還流させるペトロダラーのシステムだ。産油国は石油収入として得た巨大なドル収入を英ロンドンなど世界中のオフショア金融市場を通じてドル建て金融商品で運用しており、海外保有が7兆ドル以上に達する米国債の最強の買い手となってきた。

  食糧・資源問題研究所の柴田明夫代表によれば、その規模は、「世界の原油生産量の内の半分がドル建てで輸出されると見ると全産油国の石油輸出収入、すなわち“ペトロダラー”の規模は8000億ドル以上。世界の石油輸出量の4割強は石油輸出国機構(OPEC)だから、原油価格が90ドルを超えた11~13年のOPECの石油収入は1兆ドルを超えていた」と試算する。これだけ巨額のドル需要があれば、為替市場で極端なドルの下落は起こりにくい。

つまり米国は自国通貨の下落を他国ほど気にすることなく、政府債務や対外債務を増やすことができ、世界中から物やサービスを購入することが可能になるわけだ。

金など実物資産の裏付けがない不換紙幣を刷り続けることができるドル、債務を無尽蔵に増やし続けることができるドルだけが持つ「とてつもない特権(EXORBITANT PRIVILEGE)」(仏ジスカールデスタン大統領)だ。

IMFが公表した「ドル支配の見えない浸食」

 ロシアが仕掛けた通貨戦争は、このドルの特権を維持するペトロダラー体制に風穴を開ける可能性がある。

 資本取引を規制する人民元や、国際通貨ではないインドルピーが一足飛びにドルに匹敵する国際決済通貨になる可能性は極めて小さいが、国際通貨の歴史に詳しいシグマ・キャピタルの田代秀敏チーフエコノミストは、3月24日に国際通貨基金(IMF)が公表した米経済史の泰斗アイケングリーン氏らのリポート「ドル支配のステルス(見えない)侵食」に着目する。

 世界各国の準備通貨における人民元などの台頭が確実に進んでいる現状に警鐘を鳴らしているのだ。田代氏は「中東各国が対露経済制裁に前向きではない現状も見れば、米ドルの影響力はさらに下がることになるだろう」と指摘する。

 ロシアが産出する資源は天然ガスや石油、石炭にとどまらず小麦や肥料、鉄鋼製品、アルミニウム、ニッケルなど多岐にわたり、それぞれ世界シェアで上位を占める。ロシアの資源なしの世界のグローバルサプライチェーンは成り立たないとさえいえる。

 そのロシアが国際決済通信網のCIPSを準備してきた中国の人民元と組み始めたら、「貿易決済通貨のデカップリング」は確実に進み、ドル後の世界が見えてくるかも知れない。世界経済は歴史的な転換点の真っただ中にいる。

(金山隆一・編集部)

 ロシアが天然ガスで仕掛けたエネルギー戦争に震撼しているのは、欧州だけではない。日本は改めて石油危機から始まったLNGの調達の戦略見直し、ミサイル攻撃を受ける可能性のある原子力発電所の抜本的な見直し、ドイツが再考しはじめた石炭火力発電所の廃止期限延長、アンモニアなどCo2を排出しないクリーンなエネルギーの早期実用化など、国のエネルギー政策の根幹を見直すときに来ているようだ。

 日本はここで何を決断するのか、が問われている。

4月19日号「世界エネルギー大戦」を特集した。

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