国際・政治エコノミストリポート

人気作家に広がるプーチン支持 政権批判が薄れたロシア文学=松下隆志

愛国主義政策を推進したプーチン大統領 Bloomberg
愛国主義政策を推進したプーチン大統領 Bloomberg

 ロシアの歴史の中で文学はつねに単なる文学以上のものであり、作家は社会の批判者として道徳的な役割を演じてきた。社会主義サークルに属していたドストエフスキーは逮捕されて一度は死刑になりかけ、後にシベリアに流刑された。非暴力や反戦主義を唱えたトルストイは専制や教会を鋭く糾弾し、皇帝をもしのぐほどの世界的権威となった。ソ連時代には国家のイデオロギーによって創作の自由が厳しく制限され、数多くの作家が弾圧の犠牲となった。収容所の過酷な実態を暴いてノーベル文学賞を受賞したソルジェニーツィンはアメリカに亡命し、海の向こうから国家という巨大な存在と文字通りペン一本で闘った。

「普通」になったロシア文学

「文学中心主義」とも呼ばれるこのような伝統はソ連の崩壊によって危機に陥った。1980年代後半、当時のゴルバチョフ書記長が進めたペレストロイカ(改革)期には、数百万部という驚異的な部数を記録した各種文芸誌も、91年にソ連がなくなると数千~数万部まで部数を落とした。作家は創作の自由を得た一方、市場経済の導入により文学はビジネス化し、ミステリーやSFなど大衆ジャンルが台頭する中でいわゆる純文学は苦戦を強いられることになった。かつてのように社会に絶大な影響力を及ぼすような作家は存在せず、道徳的権威としての作家像は廃れた。よくも悪くも、ソ連崩壊によってロシア文学は「普通」になったように見えたのだ。

 風向きが変わったのは21世紀に入ってからだ。プーチン政権下でテレビ局など独立系のメディアが次々に国家の管理下に置かれ、正面から政権批判を行うことが難しくなった。公然と検閲が行われていたわけではないものの、権力の介入を警戒した作家たちはフィクションの中で「プーチンのロシア」の将来を思い描いた。

ウラジーミル・ソローキン著『親衛隊氏の日』(2006年)(河出書房新社、松下隆志訳、邦訳13年)
ウラジーミル・ソローキン著『親衛隊氏の日』(2006年)(河出書房新社、松下隆志訳、邦訳13年)

 ポストモダンと呼ばれる実験的な文学潮流を代表する作家の一人であるウラジーミル・ソローキン氏(55年生まれ)は、文学を通して警告を発する作家の一人だ。モスクワのアンダーグラウンド芸術にルーツを持ち、暴力やエロスが氾濫する過激な作品は検閲が緩んだペレストロイカ期ですら活字にできず、ソ連崩壊後の90年代にようやく国内で出版が始まった。

 2006年に発表した『親衛隊士の日』(13年邦訳、河出書房新社)は2028年に復活した「帝国」ロシアを描いたディストピア(暗黒郷)小説で、イワン雷帝(16世紀のロシアの強権皇帝)を思わせる専制君主が私的な親衛隊の暴力によって国を支配している。西側世界との断絶、天然資源への依存、中国との隷属的な関係など、その予言的な内容に改めて注目が集まっている。2月24日のウクライナ侵攻を受けて即座に独自のプーチン論を西側のメディア向けに発表し、プーチン大統領を「モンスター」と呼んで鋭く批判した。

半亡命の政権批判作家

ボリス・アクーニン著『堕天使(アザゼル)殺人事件」(1988年)(岩波書店、沼野恭子訳、邦訳15年)
ボリス・アクーニン著『堕天使(アザゼル)殺人事件」(1988年)(岩波書店、沼野恭子訳、邦訳15年)

 人気の探偵小説作家ボリス・アクーニン氏(56年生まれ)は反プーチンデモを組織するなどして活発に政権批判を行ってきた。元々は三島由紀夫作品の翻訳などを手がける日本文学研究者で、「アクーニン」というペンネームは日本語の「悪人」に由来している。歴史探偵小説「エラスト・ファンドーリンの冒険」シリーズは大ベストセラーとなり、ロシアでもっとも裕福な作家の一人とされる。

 プーチンが大統領に返り咲いた12年にアクーニン氏ら有名作家たちが呼びかけたデモでは、数千人の読者たちとともにモスクワの街をただ「散歩」するという平和的な形で抵抗の意思を示した。13年からはイデオロギー性を排した独自の「ロシア国家史」の執筆に精力的に取り組んでいたが、14年のクリミア併合後はイギリスに半ば亡命状態になっている。

 今回のウクライナ侵攻を受けて仲間の知識人らとともに「本当のロシア」というサイトを立ち上げ、「プーチンのロシア」はロシアの本当の姿ではないと訴えながら、ウクライナ人への支援金を募っている。

 このように体制に批判的な作家がいる一方で、逆の立場の作家もいる。サンクトペテルブルクの作家パーヴェル・クルサーノフ氏(61年生まれ)は、ソ連のアンダーグラウンド・ロックの世界で活躍した後、文学活動に転じた。作品は徐々に帝国主義的傾向を強め、出世作となった歴史改変小説『天使に噛(か)まれて』(00年)はその反米的な内容が物議を醸した。地元の知識人らと「ペテルブルクの原理主義者」と称するグループを結成し、02年には芸術的な「パフォーマンス」としてプーチン大統領宛てにロシアの領土拡張を訴える公開書簡を送った。

愛国的な文学台頭

 プーチン政権下でロシア文学は急速に保守化したが、今回のウクライナ侵攻との関連でとくに見逃せないのは、若い世代による愛国的な文学の台頭だ。この傾向を代表するザハール・プリレーピン氏(75年生まれ)は、大学で学ぶかたわらオモン(ロシア警察特殊部隊)隊員としてチェチェン紛争(ロシアからの分離独立を目指すチェチェン共和国との紛争)に従軍し、戦場での実体験にもとづいて書いた戦争小説『病理』(04年)でデビューした。

 荒削りながらエネルギッシュで躍動感のある文体を持ち味とし、作中ではしばしばマチズモやヒロイズムが強調される。「帝国」としてのロシアを賛美し、ブログや作中でプーチン大統領をじかに「皇帝」と呼んでいる。

 もっとも、プリレーピン氏は最初からプーチン大統領を支持していたわけではなく、かつては「ナショナル・ボリシェヴィキ党(NBP)」という極右と極左の要素を併せ持つ過激な反体制政党の党員だった。ファシズム的なイデオロギーなどから「ネオナチ」と称されることもあるが、党首エドゥアルド・リモノフ氏のカリスマ性も手伝ってNBPは愛国的な若者の間で人気を博し、90年代ロシアのサブカルチャーを象徴する現象の一つにもなった。

 客観的に見て、ロシアの現代文学におけるプリレーピン氏の快進撃はめざましいものだ。ヤースナヤ・ポリャーナ賞、ナショナル・ベストセラー賞、ビッグ・ブック賞などロシアの主要な文学賞を相次いで受賞し、11年にはスーパー・ナツベスト賞(過去10年間のナショナル・ベストセラー賞受賞作の中からとくに優れた作品に贈られる賞)に輝いている。また、創作だけでなく評論活動や若手作家のアンソロジー(作品集)の編纂(へんさん)などにも積極的に取り組んでおり、新世代の文学のけん引役として存在感を示した。さらにその旺盛な活動は文学の領域のみにとどまらず、俳優やミュージシャンなど多彩な顔を持っており、自身のユーチューブ・チャンネルも開設している(チャンネル登録者数16・5万人)。

ロシア文学の岐路

 その一方で、公然とスターリンを礼賛するエッセー(12年)を発表するなど、強い愛国心に裏打ちされた過激な政治的言動はたびたび問題視されてきた。リベラル派との溝は次第に深まり、14年のクリミア危機をきっかけにプーチン支持に転向した。ウクライナ東部のドンバス戦争にも積極的に関与する姿勢を見せ、「ドネツク人民共和国」の首長アレクサンドル・ザハルチェンコ氏の顧問となり、同地で自身の大隊を招集した。18年8月にザハルチェンコ氏が暗殺される1カ月前にロシアに帰国したとされるが、その後のユーチューブのインタビューで自分の大隊がいかに多くの敵を殺害したかを自慢げに語り、これまた物議を醸した。

 筆者がプリレーピン氏の話をすると、なぜこのような作家が多くの読者から支持されるのかとよく尋ねられる。その理由はおそらく、特定のイデオロギーよりも愛国心を第一に置く姿勢が、プーチン大統領が長年にわたって積極的に推し進めてきた愛国主義政策にこの上なくマッチしているからだろう。プリレーピン現象が映し出しているのは、「愛国」という名目さえあれば何でもまかり通るかのようなロシア社会の危うい空気だ。

 日本をはじめ西側のメディアでは戦争に反対する作家の声が積極的に取り上げられているが、残念ながらロシア国内においてそれは多数派ではなく、プリレーピン氏を筆頭に多くの作家がプーチン大統領の「特別軍事作戦」を支持しているという現実がある。分断はこの上なく深刻であり、文学大国ロシアは今まさに岐路に立たされている。

(松下隆志 岩手大学准教授、ロシア文学研究者・翻訳家)

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