経済・企業 EV・日本の大逆襲
《EV・日本の大逆襲》日の丸EVの先陣を切った「日産・NEC連合」の失敗に学ぶ=永井隆
日の丸EVの「敗戦」
10年前には世界トップを走りながら、今や周回遅れにある日本のEV。その姿は78年前、レイテ沖で作戦をほぼ成功させながら自ら退却してしまった連合艦隊と重なる。
先陣切った「日産・NEC連合」聖域なしのテスラが日本勢凌駕=永井隆
「日本の自動車産業はガソリンエンジン車で勝ったため、ガソリンエンジンのサプライチェーンが構築されている。これを捨てることは、どうしてもできなかったし、これからも簡単にはできないだろう」(EV・日本の大逆襲 特集はこちら)
電気自動車(EV)バスやEVトラックなどを展開する「EVモーターズ・ジャパン」(本社・北九州市)の佐藤裕之社長は、日本の乗用EVの置かれた厳しい現状について、理由を語る。
大手自動車部品メーカーの首脳は、「完成品であるEVが負けると、部品メーカーのプレーヤーも、すべてが入れ替わってしまう。なので、EV敗戦は本当に痛手だ」と指摘する。エンジン部品に限らず電装品なども、例えば中国EVメーカーはともに勃興した自国の部品メーカーに発注し、日本製は採用されなくなる、という意味だ。
自動車産業の国内雇用は約550万人。EV化という構造変化が起きようともサプライチェーンをはじめ、守らなければならない聖域が、わが国自動車産業にはどうしても存在する。技術はあっても、なかなか前に進めないのだ。
一方、米EV大手のテスラや中国EVメーカーには、守るべきシステムや聖域がない。EVとその向こう側にある自動運転に向かい、フルスロットルで走り続けられる。特に、テスラの自動運転開発では、AI(人工知能)と人との対話形式(英語)によるプログラム開発を行うなど、開発スピードでも日本メーカーを凌駕(りょうが)した。
電池、量産で世界リード
もともと、EVの心臓部であるリチウムイオン電池(LIB)は、1980年代中ごろに旭化成が基礎開発した。世界初で、吉野彰氏はノーベル賞を受賞し、LIBの量産はソニーが91年、世界に先駆けて成し遂げる。EV量産も、09年に三菱自動車が、さらに10年には日産自動車が「リーフ」で先行して世界をリードした。
にもかかわらず、「今は日本のEVは周回遅れ。米国の東海岸なら日本車はまだ見かけるが、西海岸ではテスラのEVが自動運転で走行している」(前出の部品メーカー首脳)状況だ。
今年3月には、ホンダとソニーグループがEVでの提携を発表。「互いの技術を持ち寄る両社の提携は、起死回生につながる希望では」(同)と指摘する声は上がる。しかし、ホンダと取引のある別の部品メーカー幹部は、「ホンダの三部敏宏社長の狙いは事業というより、EV化に対し動こうとしない社内に危機感を植えようとしているのに過ぎない。(栃木の)技術研究所はいま混乱しているが、世界の動きに対し意識改革とかそんなレベルしか打ち出せないところに問題がある」とこぼす。
リーフの開発では、日産とNECとが08年から共同で電池開発に取り組んだ。当初の理想を追い求めている段階では、両社の関係は良好だった。しかし、事業が具体化すると、リーフの生産計画を電極を生産するNECに伝えないなど、関係はほころんでいく。それでもリーフが発売された10年末、“日産・NEC連合”は、間違いなく世界の最先端を走っていた。
しかし、18年に両社が合弁した“虎の子”の電池事業を中国資本に売却してしまう。14年日産は中国でEVを発売したが、「電池が日本製」という理由で中国政府から突然補助金を打ち切られてしまったことが、電池事業撤退の遠因だったろう。現在日産が開発を急ぐ、安全で劣化しにくいとされる全固体電池はラミネート型を採用するが、これは、もともとはNECが開発した技術である。日産では方針が二転三転するため、EVのキーマンが相次いで辞めてしまった。
一方、テスラは電池の量産に一時は苦しみながらも、パナソニックを利用しながら現在の地位を築き上げていく。パソコン向けの電池を搭載したテスラのEVは当初、火災事故を頻発させたが、「日本メーカーが安全対策に多くの時間とお金を費やしている間に、高級車種から投入してブランドを作ったテスラのマーケティング戦略に日本のEVはやられた」(自動車メーカー幹部)という指摘もある。
「自己認識の失敗」
LIBやEVをはじめ、液晶に有機EL、半導体のDRAMなど、日本がかつて一世を風靡(ふうび)しながらも現在は劣勢に甘んじている分野は多い。
一時は圧倒的に優位に立ちながら気がつけば敗戦、という例は実は太平洋戦争でもみられた。世界史上で最後の海戦となったフィリピンのレイテ沖海戦(44年10月)は、日本軍にとってのまさにそういった状況だった。
レイテ沖に突然現れた戦艦大和をはじめとする栗田艦隊を前に、「陸上の仮設の司令部にいたマッカーサー大将は、〈勝利はいまや栗田提督のふところに転げこもうとしていた〉と回想録に記したような状況」『失敗の本質』寺本義也ほか著、中公文庫)に米軍を追い詰める。二番艦の武蔵を失いながらも、レイテ湾突入という作戦の目的を日本軍はほぼ完遂していたのである。
しかし、栗田艦隊は突入を中止し“謎の反転”をしてしまう。背景には、リーダーの現状認識の欠如、軍令部および各部隊間での情報共有の不備、年功序列で決する重要ポストの人事……など、いくつもの問題があったとみられる。「統一指揮不在のもとに作戦は失敗に帰した。レイテの敗戦は、いわば自己認識の失敗」(同)は、現在の日本メーカーのEVでの失墜に通じる面がある。
歴史に「もしも」は禁句だが、仮に、大和がレイテ湾に突入していたなら輸送船団撃滅という戦果を得られ、45年2月の近衛上奏(戦争終結の上奏文を認(したた)めた近衛文麿が、昭和天皇に終戦の聖断を促した)あたりで終戦を実現できた可能性はあったかもしれない。そうなれば、その後に起きた多くの悲劇は回避され、戦後の世界秩序さえ違う風景になっていただろう。
連合艦隊の象徴だった戦艦大和は、現在の自動車産業におけるエンジンのサプライチェーンに相当するだろう。これをどう守り、どう生かすのかを、大局的な見地から冷静に決断する必要に迫られることになる。さらに、トヨタ自動車や日産が開発を進める全固体電池は、世界的な“EV戦争”の行方を左右するのは間違いない。
日の丸EVの命運を決する最終決戦がいよいよ近づいている。
(永井隆・ジャーナリスト)