教養・歴史ロングインタビュー情熱人

犬ぞりで狩りをしながら旅をする――角幡唯介さん

「探検家って肩書を使ってるけど、もうあまりそういう意識はないんです」=神奈川県鎌倉市 撮影=佐々木龍
「探検家って肩書を使ってるけど、もうあまりそういう意識はないんです」=神奈川県鎌倉市 撮影=佐々木龍

探検家・ノンフィクション作家 角幡唯介/60

 チベットの空白地帯探検に始まり、現在は北極に軸足を置いて単独行を続ける角幡唯介さん。犬ぞりに乗って狩猟をしながら、より自由に、より深く、土地を旅する。探検家としての「ピーク」を超えて行き着いた新たな境地だ。

(聞き手=市川明代・編集部)>>連載「ロングインタビュー情熱人」はこちら

「ゴールのある旅では見えないものがある」

──『狩りと漂泊』に続く北極を舞台にした「裸の大地」第二部を、2023年6月に出版予定ですね。どんな「探検」なのですか。

角幡 うーん、もう探検という感じじゃないですね。探検というのは、外の世界に「未知」があって、そこを調査によって明らかにしていく、というようなことですよね。今やっているのは、はっきりとした未知を求めていくことではないんです。

 北極圏を、犬ぞりに乗って狩猟をしながら旅する。より自由に上手に移動できるようにするために、犬ぞりの操縦や狩猟の技術を高めるわけですが、それだけではダメで、その土地の中でうまく立ち回れるようになる必要がある。だから毎冬通うわけです。(情熱人)

── 確かに「探検」とは違うような……。

角幡 探検といってもグーグルアースで世界中を見られる今、もう未知の場所なんてないですよね。僕にとっては未知でも、人類にとって未知というわけじゃない。それと、現実というのはその時々によって変化するわけです。狩りをしながら旅をすると、常に変化する獣の動きを捉えながら移動しなくてはならないから、予定通りにいかない。目標を決めて、地図の上で計画を立てて、ぱっと線を引いて、それに従って行動する、そういう旅の仕方では見えないものがあるんです。

── その境地に至ったのはいつですか。

角幡 初めて北極に行ったのが11年です。北極冒険家の荻田泰永君と一緒に、目的地を決めてGPS(全地球測位システム)を携帯して長距離歩く、という極地冒険のオーソドックスなスタイルでやりました。でも何か違和感があったんですよ。

 例えば1000キロ先の町に行くと決めて、60日分の食料を持っていく。計算すると1日平均何キロ歩かなくちゃいけない、というノルマが出てくる。「今日はあと5キロ進まなくちゃいけないから、1時間当たりの走行距離をこれだけにする必要がある」という風に、どんどん行動が縛られる。そうすると、土地への没入感がすごく希薄になる。必死になって表面を歩いてるけど、深みに達していない。活動を見直す大きな転機になりました。

 早稲田大学の探検部入部をきっかけに、探検家の道を歩み始めた。ヒマラヤ山脈奥地のツアンポー峡谷に残された人跡未踏区間に、02~03年と09年の2度にわたって単独で挑んだ。湿ったヤブに覆われた延々と続く急斜面に悪戦苦闘し、降りやまない雨雪に凍え、激しい飢えで意識もうろうとする。生きて峡谷を“脱出”するまでをつづった壮絶なデビュー作は、開高健ノンフィクション賞など、数多くの賞を受賞した。

── 早稲田大学の探検部出身です。

角幡 実家がスーパーマーケットを経営していて、長男だから後を継がされると思っていました。目の前のレールからいかにして逃れるか、自分のオリジナルの人生をいかに歩むかが若い頃の問題意識でした。探検部に入部して、「将来が見えた」いう感じでした。

── 一度は新聞記者に。

角幡 大学卒業後も探検家を諦められず、アルバイトをしながら国内外を旅していました。でもさすがに焦って、朝日新聞の試験を受けたら合格した。探検部のOBは、マスコミに行ってる人間が多い。取材して何かを明らかにするのは探検に近いんですよね。

── 入社までの半年間にツアンポー単独行に挑んだものの、納得できなかった。

角幡 1度目に空白地帯のほとんどを探検したんですが、新聞記者を続けるうちに、最初に目標とした完全踏破をどうしても成し遂げたいと思うようになった。それをしないと残りの人生を悔いて過ごすことになる、と。

死ぬ確率3割なら行く

── よく生きて帰れたなと思います。

角幡 自分自身、悪運が強いなと思います。まずツアンポーの最初の旅の初日(02年12月)に岩壁から滑落しているんですが、あの時本当なら僕は死んでるはずだったんです。だけど、たまたま生き残った。2回目に完全踏破を目標にして巨大な岸壁地帯に入り込んで、結局諦めて峠の方から逃げるわけですが、あの判断も結果的には良かったわけです。突っ込んでいたら死んでいたかもしれない。

── 「諦める勇気」とも言いますよね。

角幡「行けたんじゃないか」というのが絶対に残ります。でも、行っていたら7割ぐらいの確率で死んでいたと思う。僕がよく言うのは「3割」です。失敗して死ぬ確率が3割、生き残る確率が7割だったら行く、そういう感覚がありました。20代の時は。

── 周囲には、亡くなった登山家や冒険家もいますよね。

角幡 失敗すると、判断は適切だったのかとか、無謀だったんじゃないかとか言われますが、それを了解した上で、それでも「行く」と決断したのなら、それはすごいと思うんですよ。僕にはできない。自分が生きてこられたのは、もちろん運もあるし、然るべきところで引いてるってことだと思う。でも、それは突っ込めなかったという弱さでもある。

── ツアンポーの後、何を考えましたか。

角幡 ツアンポーへ行って「死」を感じたことで、「もっと死に近づいたら、もっとすごい生があるんじゃないか」と考えた。それができる場所はどこだろうと。例えばヒマラヤの8000メートル峰は、非常に特殊な環境です。ただ、登山家がみんな行っているし、自分の場所じゃないなと思った。ならば極地かなと。

 16年末から17年にかけて、太陽が昇らない極夜の北極圏を、GPSを持たず犬1頭と小さなそりで旅した。暗黒世界で自分の居場所を見失い、激しいブリザードに襲われ埋没の恐怖を味わう。無人小屋に設置した食料やドッグフードのデポを白クマに食い荒らされ、猟銃で狙ったジャコウ牛に逃げられ、「食うために犬を殺(あや)めるシーン」が何度も頭をよぎる……。一連の冒険をつづった『極夜行』で、旅の終盤、極夜が明けて姿を現した巨大な太陽を、出生以来の2度目の「本物の光」と表現した。

── 『極夜行』を読むと、北極にはこれ以上のものはないのではないかと思えてきます。

角幡 燃え尽き症候群とまではいかなかったですけど、次のはっきりしたテーマがなかなか思い浮かばなかった。その後も北極に足を向けた理由の一つに、『極夜行』で一緒に旅した犬が現地にいて、見捨てるわけにいかなかったという事情もあります。とても気性が荒くて、一対一で仲間を食い殺してしまうような激しい犬だったので、用がなくなったら処分されてしまうと思ったんです。

── でも、新たな境地に行き着いた。

角幡 もともと北極海まで行ってみたいというのはあったし、とにかく行けるところまで行こうと、18年に狩猟をしながら長期に漂泊する旅をしました。アザラシ狩りができたらもっと先に行けるなとあれこれ試行錯誤するものの、仕留めることができなかった。ふらふら歩きでは機動力がない、そうか、今度は犬ぞりで来ようと思い付くわけです。

 超えたいと思っている「一線」があるんですよ。帰りの食料を持たず、狩りをすることを前提に先に進む決断ができるかどうか。狩猟民だった100年前のイヌイットと現代人とを分かつ「一線」です。

そりが止まらないように犬を怒鳴りつけたり、併走したり。「それをマイナス35度の中でやるから、消耗してぶっ倒れそうになる」本人提供
そりが止まらないように犬を怒鳴りつけたり、併走したり。「それをマイナス35度の中でやるから、消耗してぶっ倒れそうになる」本人提供

── 犬ぞりの旅は危険はないですか。

角幡 実は結構危険なんです。この前、休憩後の出発前に忘れ物に気付いてそりを降りたら、ある瞬間に犬が突然走り出したんです。そこは白クマの生息地で、彼らはにおいを嗅ぎつけると追いかけようとするんですね。1匹走るとつられて走り出す。大声で叫びながら後を追っても距離が縮まらない。「追いつかなかったら死ぬ」わけです。荷物は全てそりの上にあって、何も持ってないですから。そういうことがあるから、現地の人は絶対に犬ぞりで独り旅なんかしないんですよ。

「43歳」で意識した焦り

── 老いは意識しますか。

角幡 若い時って中身がないから、どうしても背伸びをしたがる。人生が膨張していくのに伴って、もっとすごいところ、空白地帯に行きたいという気持ちが強くなる。そのうち自分が固まってくると、肉体的には減退期に入ってくるわけです。僕はその境目が43歳だと思っているんです。

── 植村直己さんをはじめ、43歳で命を落とした登山家や冒険家は数多いですね。

角幡 登り一辺倒だったのが、頂上を越えて下りが見え始める。俺もあと20年だなとか、この先どうしようとか、考えてなかったことを考え出す。焦りが出てくる。

── その壁を越えた?

角幡 壁を超えたという感覚はありません。ただ、下ってる自覚はあります。でも下り始めてしまえば「こんなもんか」と。上に向かってすごいことをやるのではなくて、深みに入っていく。登山家ならフリークライミングのすごく細かなテクニックを極めていったりするわけですよ。例えばエベレストに登る行為って、外側の世界が決めた「価値」を登るってことじゃないですか。それより「自分の山」に登りたい。40代後半になってそういうことを考えるようになりました。今やってる犬ぞりの旅なんて、自己満足でしかない。でも外から見たら無価値であることが、僕にとっては誇りなんです。

── 北極行きはまだ続きますか。

角幡 自分のやりたいことをやったら、地元の人たちを連れて一緒に旅したい。もともと、白クマやカリブーの狩猟をしながら旅をするのが彼らのアイデンティティーだった。でも現金収入になるオヒョウ釣りが広がって、行かなくなった。彼らには地形を識別する能力も僕なんかよりずっとあるし、1回行けばすぐに覚える。伝統的な文化が復活するんじゃないかと思う。一生懸命あおってます。

── 北極の次に行きたいところは。

角幡 いや、もうないです。行き先はもう、どこであってもいいんです。

「犬ぞりの旅は他人から見たら意味はない。でもそれが僕にとっては誇りなんです。エベレストより『自分の山』に登りたい」


 ●プロフィール●

かくはた・ゆうすけ

 1976年生まれ、北海道出身。早稲田大学卒業、同大探検部OB。朝日新聞記者を経て探検家・ノンフィクション作家に。2010年のデビュー作『空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む』で開高健ノンフィクション賞、大宅壮一ノンフィクション賞などを受賞。18年には北極の極夜を探検した『極夜行』でヤフーニュース本屋大賞ノンフィクション本大賞、大佛次郎賞を受賞。近著に『極夜行前』『狩りの思考法』『裸の大地 第一部 狩りと漂泊』など。


週刊エコノミスト2023年1月10日号掲載

極地を行く 角幡唯介 探検家・ノンフィクション作家/60 

インタビュー

週刊エコノミスト最新号のご案内

週刊エコノミスト最新号

4月30日・5月7日合併号

崖っぷち中国14 今年は3%成長も。コロナ失政と産業高度化に失敗した習近平■柯隆17 米中スマホ競争 アップル販売24%減 ファーウェイがシェア逆転■高口康太18 習近平体制 「経済司令塔」不在の危うさ 側近は忖度と忠誠合戦に終始■斎藤尚登20 国潮熱 コスメやスマホの国産品販売増 排外主義を強め「 [目次を見る]

デジタル紙面ビューアーで読む

おすすめ情報

編集部からのおすすめ

最新の注目記事