国際・政治

北朝鮮・金与正氏「岸田首相訪朝の可能性」発言をどう読むか 澤田克己

北朝鮮・金正恩総書記の妹・金与正氏(ベトナム・ハノイで)=2019年3月1日 Bloomberg
北朝鮮・金正恩総書記の妹・金与正氏(ベトナム・ハノイで)=2019年3月1日 Bloomberg

 北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党総書記の妹、金与正(キム・ヨジョン)氏が2月15日の談話で、岸田文雄首相による訪朝の可能性に言及した。日本政府や専門家は談話の内容もさることながら、与正氏による発信だったことに驚かされた。なぜ与正氏が出てきたことが意外だと思われるのだろうか。

あくまで非公式と予防線

 談話は、岸田首相が衆院予算委員会で日朝首脳会談の実現へ向けてさまざまな働きかけをしていると延べたことを受けたものだ。「解決済みの拉致問題を両国関係展望の障害物としないのであれば、両国が近づけない理由はなく、首相が平壌を訪問する日が来ることもあるだろう」と述べた。

 与正氏は一方で、「現在までわが国の指導部は日本との関係改善のための構想を何も持っておらず、接触にも関心を持っていない」とも述べ、「あくまでも個人的な見解であり、私は公式に日本との関係を評価する立場にない」という言葉まで付けた。あくまで非公式な談話だと予防線を張った形である。

対米、対韓非難の談話は与正氏が

 北朝鮮は3代世襲を正当化する中で「白頭の血統」を強調してきた。「白頭」は、朝鮮半島北端で中国との国境に位置する白頭山を指す。金日成(キム・イルソン)が日本の植民地支配に抵抗するパルチザン活動の拠点とし、金正日(キム・ジョンイル)も生まれた地ということになっている。この血統に属する与正氏はそれだけで重みを持つことになる。

北朝鮮・金正恩総書記と韓国・文在寅大統領で行われた南北首脳会談(板門店)=2018年4月27日 Bloomberg
北朝鮮・金正恩総書記と韓国・文在寅大統領で行われた南北首脳会談(板門店)=2018年4月27日 Bloomberg

 当初は兄の後ろで儀式のプロデュースなどをしている程度に見られていたが、徐々に前面に出てくるようになった。北朝鮮が韓国への対話攻勢を本格化させた2018年2月には、平昌冬季五輪の開会式に出席するため韓国を訪問し、当時の文在寅(ムン・ジェイン)韓国大統領に訪朝を要請した。

 米韓との対話路線が19年に破綻して以降は、米国と韓国に対するメッセージの発信役となった。初めての談話は20年3月。北朝鮮による短距離弾道ミサイル発射を非難した韓国政府(文在寅政権)を「身の程知らず」と決め付け、米国追従だと非難した。

 同年6月には、脱北者団体の宣伝ビラ散布を非難し、18年の南北首脳会談での合意を受けて北朝鮮・開城に建設された南北共同連絡事務所の爆破を予告する談話を出す。北朝鮮はその3日後に事務所を爆破した。この時期以降、米国と韓国に対する非難は与正氏の談話というスタイルが定着した。

次第に「レベル」が上がる

 それに比べると、日本向けの発信は「日本研究所研究員」や「朝鮮オリンピック委員会報道官」というレベルにとどまってきた。拉致問題の解決を関係改善の条件とし、厳しい姿勢を続ける日本から交渉で何かを引き出すことには現実味が薄いという判断だろう。きつい言い方をすれば、日本は正恩氏の眼中になかったと考えられる。

北朝鮮による拉致被害者の早期帰国を求める「国民大集会」で挨拶する岸田文雄首相=2023年11月26日、藤井達也撮影
北朝鮮による拉致被害者の早期帰国を求める「国民大集会」で挨拶する岸田文雄首相=2023年11月26日、藤井達也撮影

 19年5月に、当時の安倍晋三首相が無条件で日朝首脳会談開催を目指すと表明した時の反応は典型的だ。前年から米韓と北朝鮮の首脳会談が続く中、拉致問題の解決を前提条件にするという従来方針からの転換だったが、北朝鮮は「厚かましい」と突き放した。しかも発信の形式は、日韓などとの交流事業を担当していた団体の報道官が国営通信社の質問に答えるという、談話などよりも軽いものが使われた。

 ただ昨年5月に岸田首相が日朝首脳会談のための高官協議に意欲を見せた際には、外務次官が談話を出した。今回は、さらにレベルが上がったことになる。どちらも「拉致問題は解決済み」とする立場は従来と変わらないし、今回の談話は与正氏の「個人的な見解」という不可解な形ではあるものの、発信者の格を含めて正恩氏の決裁によるものであることは疑いない。北朝鮮の真意は不明ながら、今後の動きは注意深く見守っていくべきだろう。

澤田克己(さわだ・かつみ)

毎日新聞論説委員。1967年埼玉県生まれ。慶應義塾大学法学部卒業。在学中、延世大学(ソウル)で韓国語を学ぶ。1991年毎日新聞社入社。政治部などを経てソウル特派員を計8年半、ジュネーブ特派員を4年務める。著書に『反日韓国という幻想』(毎日新聞出版)、『韓国「反日」の真相』(文春新書、アジア・太平洋賞特別賞)など多数。

インタビュー

週刊エコノミスト最新号のご案内

週刊エコノミスト最新号

4月30日・5月7日合併号

崖っぷち中国14 今年は3%成長も。コロナ失政と産業高度化に失敗した習近平■柯隆17 米中スマホ競争 アップル販売24%減 ファーウェイがシェア逆転■高口康太18 習近平体制 「経済司令塔」不在の危うさ 側近は忖度と忠誠合戦に終始■斎藤尚登20 国潮熱 コスメやスマホの国産品販売増 排外主義を強め「 [目次を見る]

デジタル紙面ビューアーで読む

おすすめ情報

編集部からのおすすめ

最新の注目記事