国際・政治 日韓関係
日本と韓国の政治・外交の“差”を理解するキーワード「感動」 澤田克己
日本と韓国の間で見られる感覚の違いを象徴する言葉の一つは「感動」ではないだろうか。日本をよく知る韓国人研究者の言葉を聞いて、そう考えた。韓国では政治的な話題でもよく使われるのだが、日本で政治を語る時にそれほど使うとは思えない。背景に何があるのか考えてみたい。
佐渡の朝鮮人労働者に関する展示を見て…
世界文化遺産への登録が決まった「佐渡島(さど)の金山」へ行き、朝鮮人労働者に関する展示を見てきた感想を述べた言葉だった。7月の登録決定にあたって日韓両政府が協議し、朝鮮半島出身者が日本人より過酷な作業に従事したことなどを現地で展示することで合意した。日本では両国による事前協議で決着したことを評価する声が大半だったが、韓国では尹錫悦(ユン・ソンニョル)政権に批判的な進歩派の野党とメディアが「強制労働」と明記されていないなどと猛反発していた。
この研究者は「韓国では『ひどい内容だ』と報道されていたが、実際に行ってみると悪いものではなかった」と評価しつつ、不満の残る点として「感動がなかった」と話した。「展示はされていたけれど、誠意を感じられるようなものではなかった」というのだった。
8月末に開かれた専門家対話である日韓フォーラムでの発言だ。現在の国際情勢を考えれば連携強化は必然だというのが両国からの参加者の共通認識だったが、それでも議論に温度差は感じられた。未来志向の協力が必要だという点では一致するものの、二国間の問題に踏み込もうとしない日本側とこだわりの残る韓国側という対比が見られたのだ。「歴史認識問題での日本側の踏み込み不足」という感覚が韓国側にあるからだろう。それを説明するキーワードが「感動」のように思われる。
韓国では政治に「感動」が必要
そもそも政治や外交を語る際に「感動」という言葉を使う頻度は日韓で大きく異なる。共同通信と韓国の聯合ニュースのデータベースで、昨年9月から今年8月までの1年間に「政治」ジャンルで配信された記事を調べてみた。すると「感動」を含む記事は、共同通信の11本に対して聯合ニュースは328本だった。
しかも共同通信の記事は、スポーツや文化芸術に関連して首相や閣僚が「感動した」と語ったというようなものばかりだ。一方で聯合ニュースは、総選挙や与党代表選など政治そのものに関するニュースが多い。
よく出てくるのが、選挙で有権者に訴えかけるために「感動」が求められるという論法だ。政党主導の選挙が定着している韓国では二大政党の公認を得られなければ当選は難しいのだが、党指導部は時に現役の大物議員を公認から外して刷新をアピールする。あるいは大物議員が、党の刷新を図るためにと自ら不出馬を宣言することもある。そうした際に使われる言葉が「感動」なのだ。
聯合ニュースによると、今年4月の総選挙でも与党幹部が「(公認をもらえなかったことを)受け入れた方たちの感動的な献身があった」と語ったり、野党の長老議員がフェイスブックに「感動の政治が必要なのが今だ」と書いたりした。韓国紙・朝鮮日報も社説で、与党の比例代表名簿について「感動はなく、憶測ばかりが飛び交っている」と批判した。
相手をもっと知ることが大事
韓国の政治で「感動」が重視される理由は何か。民族主義の研究者で、「犠牲者意識ナショナリズム」(邦訳は東洋経済新報社)の著者である林志弦(イム・ジヒョン)西江大名誉教授は「韓国では政治に道徳的アプローチを求めるからではないか」と話す。これは、韓国社会の特徴を「道徳志向」であることだとする小倉紀蔵京都大教授(韓国哲学)の指摘に通じるものだろう。道徳志向というのは「道徳的であるか」「正しいかどうか」を物事の判断基準にすることだ。
韓国の外相経験者は筆者に対し、岸田文雄首相が昨年5月に訪韓して歴史問題で「心が痛む思い」だと述べたことについて「歴代内閣の立場を継承する、というよりは人間的な言葉で静かな感動を与えた」と評価した。ただ、その一方で「歴史問題に対して韓国は相対的に道徳的アプローチを取るが、日本は法律的アプローチだ。人々の心を動かす感動は論理より重要であり、その点が日本外交の残念な点だ」と話す。
日韓どちらがいいかという問題ではなく、違いがあるということだ。しかも国際社会では、どちらが一般的とも言いづらい。SNS全盛時代となった現代社会では、少なくとも民主主義国では世論を無視した外交をすることは難しい。だからこそ相手国世論に訴えかけるパブリック・ディプロマシー(公共外交)が重視されるのだが、日本で語られる「歴史戦」というのはむしろ逆効果にしかなっていないことが多い。その点では中国の「戦狼外交」と五十歩百歩である。同様に韓国側の対日公共外交も、日本の世論に刺さっているかというと疑問が残る。
日韓関係で改めて考えるべきは、植民地時代に教育を受けた日本語世代の人々が韓国からいなくなったことだろう。金大中政権までの韓国には、日本のことを肌身で知る世代が政財界の中枢に残っていた。こうした人々がいれば、感覚の違いは大きな問題にならなかったのかもしれない。だが今やそんな人は誰もいないのだから、日韓関係をきちんと構築しようとするならば相手をもっと研究する必要がある。政治に対する感覚の違いをきちんと認識し、背景を知ろうと努力することはその第一歩ではないだろうか。
澤田克己(さわだ・かつみ)
毎日新聞論説委員。1967年埼玉県生まれ。慶應義塾大学法学部卒業。在学中、延世大学(ソウル)で韓国語を学ぶ。1991年毎日新聞社入社。政治部などを経てソウル特派員を計8年半、ジュネーブ特派員を4年務める。著書に『反日韓国という幻想』(毎日新聞出版)、『韓国「反日」の真相』(文春新書、アジア・太平洋賞特別賞)など多数。