「痛みをともなう改革」はなぜ「詐欺の疑いあり」なのか?=(田中琢真・滋賀大学大学院データサイエンス研究科准教授)
「悪化は好転の兆し」にだまされるな
「この政策は一時的に失業が増える。だが後々、必ず成長率が上がる。痛みに耐えよう」。構造改革や財政再建の議論が盛んだったころ、こう説明して国民の批判をかわす政治家がいた。
他方、「インチキ薬」を売る詐欺師も、この理屈をよく使う。詐欺師は、患者に標準的な治療をやめさせインチキ薬を薦める。薬はインチキなので、症状は悪化するのだが、詐欺師は「これは、後に改善する兆候の“好転反応”だ」と説明して患者を欺くのである。
しかし、「一時的に悪化してから改善する」と言ってきたのは古来、政治家やインチキ薬売りだけではない。例えば、『老子』に「進道は退くが若(ごと)し(前に進む道は後に退くように見える)」とあるのは、これを意味する。漢方医学でも、薬で一時的に症状が悪化することを「瞑眩(めんけん)」と呼ぶ。こうした言葉を、素直に信じてよいのだろうか。
結論から言うと、政策や病気の治療などで「一時的に悪化する」ケースは、コンピューターシミュレーションの結果、「最大で25%」となった。「ちっとも生活がよくならない」「症状がちっとも改善しない」との声があっても、直ちに政策や治療の失敗だとは言えない。一方で、こうしたごまかしを使う者も多く、注意が必要である。
本稿では、シミュレーションの方法と結果を解説する。
適用範囲広いモデル
シミュレーションはモデルを作ることから始める。
モデルとは、社会や人体について、ありそうな仮定を立てて数式にしたものだ。モデルには複雑なものも単純なものもある。複雑なモデルは正確で、単純なモデルより優れている、と思うかもしれない。だが必ずしもそうではない。
例えば、社会の性質を正確に数式化すると、社会の特性のシミュレーションはできるが、人体には適用できない。同様に、人体を正確に数式化したモデルでは、社会のシミュレーションはできない。だが、どちらにも共通していそうな単純な性質だけを仮定すれば、社会にも人体にも、別の何かにも成り立つ結論を導ける。言い換えれば、複雑なモデルは正確だが適用範囲が狭く、単純なモデルは不正確だが適用範囲が広い。
ここでは、より単純なモデルを作るため、社会や人体に共通していそうな単純な仮定と数式を考える。以下の四つの仮定を置く。
(1)社会や人体の状態はたくさんの数字(値)で表される
社会なら、個人の所得や企業の売り上げ。人体なら、身長・体重や血液検査の値。社会や人体は複雑だから、状態はとらえがたいが、統計調査や検査で数字を集めれば、その状態がわかると考える。
(2)社会や人体はある初期状態から出発して、政策や治療の結果、ある最終状態に落ち着く
社会や人体は絶えず変化する。経済成長が続いたり、体重が増え続けたりもする。だから、ある状態から別の一つの決まった状態にたどり着くわけではない。しかし、ここでは単純化して「不景気」や「貧血」という初期状態から、「好景気」や「健康」という最終状態に落ち着くとしよう。
(3)状態を表す数字のうちの一つが「景気のよさ」や「貧血の治癒段階」を表す
例えば「国内総生産(GDP)」や「赤血球数」だ。つまり、一つの指標で「景気回復」や「治癒」などの達成度を計測する。
(4)ある時刻の状態を表す数字は、前の時刻の状態を表す数字を足したり引いたりした値になる
例えば、GDPに関連して、競合するA、B、Cの3社について「(3月のA社の売り上げ)=0・7×(2月のA社の売り上げ)+0・5×(2月のB社の売り上げ)-0・2×(2月のC社の売り上げ)」で決まるとする。B社やC社の売り上げも同じような式で表される。「(明日の赤血球数)=0・99×(今日の赤血球数)+0・01×(今日の鉄分摂取量)」でもよい。もちろん、収入や赤血球数はこんなに簡単な式では決まらないし、予測不能な変動もある。だが、まずは単純な仮定からどのような結論が出てくるかを見てみることにする(0・7や0・5やマイナス0・2といった係数の決め方の説明はここでは省略する)。
このモデルをコンピューターで計算したのが図1だ。横軸が時刻で、縦軸が「GDP」や「赤血球数」だと思ってほしい。横線が最終状態の値を表す。係数を変えて3回シミュレーションし、それぞれ実線、点線、破線の折れ線で表した。どれも上がったり下がったりしながら最終状態に近づいている。
多くない「一時的悪化」
時刻0から時刻1への変化を見ると、実線と点線では時刻1の値は時刻0の値と比べ、最終状態に近づいているが、破線は遠ざかっている。つまり、破線では初期状態から「一時的に悪化」している。それでも結局は破線も最終状態に近づく。「一時的に悪化してから改善」しているわけだ。
ここで、「一時的な悪化」が起きる確率を見てみよう。四つの仮定を満たす場合についてシミュレーションを繰り返した結果が図2だ。横軸が時刻0の値で、縦軸が時刻1の値。一時的に悪化しているのは直線の下の領域で、全体の25%以下だ。理論的な解析でも、最終的に改善するケースのうち、一時的に悪化する確率は最大で「4分の1(25%)」だと証明できる。状況によっては、その確率はもっと低い。
分かったことをまとめよう。
第一に、一時的に悪化してから改善することは確かにありうる。政策や治療が、そう説明されたとしても、それが直ちに詐欺だとは言えない。
第二に、ただし、それは最大25%の場合にしか起こらない。つまり、一時的に悪化してから改善することはあるが、多くの場合は、一時的な悪化が起きることはないのである。従って、まともな政治家や医者なら、これを理解しているので、わざわざ「一時的に悪化するが……」とは言わないだろう。逆に、この理屈をあまり頻繁に使うような政治家や医者は、先行きの悪化を糊塗(こと)しようとしている可能性があり、怪しいと言わざるを得ない。
(本誌初出「「痛み伴う改革」の真贋見極める=田中琢真」)
(田中琢真・滋賀大学大学院データサイエンス研究科准教授)
■人物略歴
たなか・たくま
1980年名古屋市生まれ。2005年京都大医学部卒業、09年医学研究科修了。博士(医学)。東京工業大大学院総合理工学研究科助教などを経て、16年滋賀大データサイエンス教育研究センター准教授、17年データサイエンス学部准教授、19年より現職。専門は理論神経科学、非線形科学。