教養・歴史

梅雨時にかかりやすい「うつ病」 著名人は「うつ病」体験をこう語った=森健 【サンデー毎日】

    雨が続くと気持ちも湿りがちになる。

    二〇〇八年の梅雨の終わりごろ、うつ病経験のある著名人に体験を聞く取材をしていた。 

    一本、二本、三本……。京成線が目前を過ぎる。

    次の電車で飛び込もうと十二本目の電車が来たところで右足を踏み出そうとした。

    「その瞬間、女房や親友の顔が突然浮かんだのです。わずか〇・〇一秒の出来事。次の瞬間、その場に崩折れてしまいました」 

    フリーアナウンサーの小川宏さんは一九九二年三月十六日の早朝のことをそう振り返った。

    前年秋、激しい倦怠感に襲われ、不眠症になった。精神安定剤を処方してもらったが改善せず。その後起きたのが線路脇の自殺未遂だった。

    憔悴して帰宅すると、大学病院に連れていかれ、入院となった。診断は退行期うつ病だった。

    「原因は多忙による疲労、母の病気、身内との金銭トラブル。自分で意識しないうちに処理しきれなくなっていたようです」 

    結局、三カ月入院した。七年近く服用を続けた後、回復に至ったが、自分でも意外だったと語る。

    「自分は楽観主義と認識していましたが、慢心はできないですね」 

    入院で心の平安を取り戻したのは俳優の竹脇無我さんだった。 

    変調を来したのは一九九三年。強烈なだるさを覚えると、人と会う気が失せた。

    無理を押して現場に出たが、逆効果だった。

    竹脇さんが抱えていた不安の一つは父の自死だった。

    父は戦前戦後に人気のラジオアナウンサーで豪放磊落な人だったが、多忙からか、四十九歳で突如命を絶った。

    「自分がその歳を超えられるのか不安だったのです。実際に超えられてほっとした。そしたら、その後うつになってしまった」 

    一九九六年、半年間入院した。だが、竹脇さんのうつは双極性に近いもので、退院してもまたぶり返すことがあった。

    数回の入退院ののち最後に入院したのは二〇〇〇年。その病院では気の合う患者仲間と出会い、連日他愛ない話をした。それが回復につながった。

    「そして一年間、完全に仕事を休んだ。休む勇気をもつことと信頼できる医師や友人をもつこと。それが大事だと思います」 

    俳優の萩原流行さんは、役者や作家という表現に携わる仕事の人がうつになるのは不思議ではないと語った。

    「ゴッホも漱石もそう。人間に対する洞察や分析が常にある。それが精神的な負荷になるんです」 

    そう語る彼自身十八年来のうつ病もちだった。

    一九九一年、急遽代役で抜ばつ擢てきされた芝居を二週間やった直後、時間の感覚がおかしくなった。

    外出の支度に十分かけたと思ったら、一時間が経過していた。

    翌週のドラマ撮影で、リハーサルは完璧だったのに本番になって言葉が出なくなった。

    「四十回やり直して出るのは脂汗ばかり。恐ろしい時間でした」 

    うつは誰でもなりうる病だ。著名人の体験談からは、そんな彼でも……と思える安心と恐ろしさがあった。

    もり・けん ジャーナリスト。早稲田大卒。2012年、『「つなみ」の子どもたち 作文に書かれなかった物語』で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。17年には『小倉昌男 祈りと経営』で大宅壮一メモリアル日本ノンフィクション大賞を受賞

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