女帝・金与正氏も警戒……北朝鮮国内で「愛の不時着」など韓流コンテンツが人気
北朝鮮は6月16日、南北融和の象徴だった南北共同連絡事務所を爆破した。2018年の南北首脳会談以来の融和ムードを無慈悲に破壊した。強硬策の陣頭指揮を執ったのは、金正恩(キムジョンウン)・朝鮮労働党委員長の実妹である金与正(キムヨジョン)・朝鮮労働党第1副部長だ。
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一見、不可解に見える強硬策の裏には金与正氏が「もう一人の指導者」であることをアピールする狙いがある。既に実質ナンバー2の座にあった与正氏だが、もしなんらかの理由で金正恩氏が表舞台に立てなくなった際、彼女が「女帝」として代役を果たす、またはその試運転である。36歳と推定されている金正恩氏が、早くも後継作業を始めた背景には、彼自身の健康不安がある。
現時点で金正恩氏は、現地指導に出向き、会議にも出席するなど、健康状態が極端に悪化しているわけではない。しかし4月、死亡説まで流れた不在時期に、カテーテル治療を受けた可能性が高い。
北朝鮮は金日成(キムイルソン)を始祖とする血脈「白頭(ペクトゥ)の血統」が率いる国家だ。血脈なら序列1位だった金正男(キムジョンナム)氏は既に暗殺された。一時期、金正日氏と後継者レースを争い敗れた正日氏の母親違いの弟・金平一(キムピョンイル)氏の名前も出ているが、長年海外に放逐されたことにより、北朝鮮国内の権力基盤は皆無だ。金正恩氏の子供はまだ10代である。消去法からしても、金正恩氏の後を継ぐのは金与正氏しかいない。
金正恩、与正兄妹が二人三脚で後継作業をいそしむ背景には、やはり体制不安がある。長年の経済制裁によって経済難が深刻だといわれている北朝鮮だが、この20年間で北朝鮮の庶民たちは自らが生き延びるために自立経済を発展させた。北朝鮮庶民たちが育んだ自立経済は、金正恩独裁体制でもコントロールしきれていない。自立経済の発達とともに変化したのが庶民たちの意識だ。その原動力となったのが、北朝鮮では違法とされている韓流コンテンツだ。
ドラマは全て事実
日本でも爆発的な人気を呼んでいる韓流ドラマ「愛の不時着」には、涙の女王『ジウ姫』ことチェ・ジウ氏ファンの朝鮮人民軍の兵士やARMY(BTS〈防弾少年団〉ファン)女子、ヤミ市場で韓流コスメがひそかに販売され、女性たちが韓国製の炊飯器を求める様子などが描かれているが、これらは全て事実だ。だからこそ金正恩・与正氏は中国からSDカードなどで流入する韓流ビデオに警戒する。地上の楽園であるはずの北朝鮮で、文化から日用品まで南朝鮮(韓国)文化が幅をきかしていることは許しがたいことだ。「愛の不時着」に対しても北朝鮮メディアは「虚偽と捏造(ねつぞう)に満ちたむなしく不純極まりない反共和国(北朝鮮)映画とテレビドラマ」と激怒した。
一部からは「愛の不時着」には文在寅(ムンジェイン)政権の親北姿勢が反映されているという見方もあるが、大きな誤解である。確かに北朝鮮の人々の生活ぶりについては生き生きと好意的に描かれている。一方、強制収容所や国家保衛省(秘密警察)が拷問をいとわないなど、北朝鮮体制の非人道的な一面も描かれている。韓流を通じて、外の文化を知りつつある北朝鮮の2500万人の庶民たちは、金正恩体制に多かれ少なかれ不満を持っている。その不満を感じ取っているのか、金正恩氏や朝鮮労働党は最近、頻繁に人民を大切にする、いわば「人民ファースト」をアピールしている。しかし、内憂外患に悩む金正恩体制ができることは失政を幹部に押し付けて粛正する、または米国へ強硬策をアピールするぐらいしかない。
(高英起・デイリーNKジャパン編集長)
(本誌初出 北朝鮮 女帝・金与正氏が警戒する「愛の不時着」=高英起 20200818)