弱者を救済せず、財政ファイナンスの恩恵は大企業へ……「下心」に支えられたアベノミクス その全てが罪だった(浜矩子)
筆者は、安倍晋三政権の経済政策「アベノミクス」に功はなく、その全てが罪だと考える。それゆえ「アホノミクス」と評してきた。なぜなら、安倍政権の経済運営は下心政治に基づくものだったからだ。安倍氏が追求してきたのは「戦後レジーム(政治体制)からの脱却」だった。安倍氏本人がそう言い続けてきた。戦後が嫌なら、戦前に戻るほかはない。戦前は大日本帝国の世界だった。つまり、安倍氏の目指すところは「21世紀版大日本帝国」の構築であり、それが彼の政治的下心であった。
経済運営も政治的下心にひもづいていた。21世紀版大日本帝国を支える強くて大きな経済基盤づくり。それが、安倍政権が目指すところだった。このような政治的野望を持ったリーダーが指揮する経済運営に功はない。そもそも政治的動機のために経済政策を手段化すること自体が大罪だ。
経済政策には本来、二つの使命がある。一に「均衡の保持と回復」。二に「弱者救済」である。経済活動のバランスが崩れると、弱者が窮地に陥る。だからこそ、経済政策はその第一の使命として、バランスの取れた経済活動の姿を保つことに常に最大の注意を払っていなければならない。
ところが、安倍政権の経済運営は、これらの使命からは遠くかけ離れたところで展開されてきた。
金融政策は安倍政権の放恣(ほうし)な政策運営を支えるための「財政ファイナンス(中央銀行による財政赤字の穴埋め)」に徹した。働き方改革は、これまで労働法制によって守られていた労働者を、「柔軟で多様な働き方」の名の下に、身分と収入が不安定なフリーランサーへと追いやる企みだ。
安倍氏は首相になってすぐ、「日本を世界で一番企業が活動しやすい国にする」と宣言した。労働コストを抑え込み、賃金上昇を伴わない生産性上昇効果を手に入れる。企業にとってそれが可能になるような環境整備。そのために働き方改革が構想された。「世界で一番企業が活動しやすい国」は21世紀版大日本帝国の「強い経済基盤」構築に直結するとの考えからだ。
経済的国家主義
「政府と日銀は親会社と子会社みたいなもの。連結決算で考えてもいいんじゃないか」という安倍氏の発言は恐ろしい。中央銀行が政府の“下部機構”と化して独立性を失う。これは国民よりも国家を第一に考える「経済的国家主義」にほかならない。
経済政策を担う者は、国民の痛みが分かる者たちでなければいけない。だが、安倍政権の面々は他者のために流す涙を持ち合わせていない。「GoToキャンペーン」をめぐる迷走をはじめ問題が続出した政府の新型コロナ対応を見て、それを確認した。つまり、自分たちの得失点ばかり考えているから、場当たり的で真摯(しんし)さに欠く対策しか出てこない。アベノミクスの正体は「功なき大罪」の塊である。
(浜矩子・同志社大学大学院教授)
(本誌初出 アベノミクスは「功なき大罪」だ=浜矩子 20200915)