47年経った車が壊れもせず現役で走行している……カリフォルニアに移住したジャーナリストが驚いた!アメリカのクラシックカー文化の凄さ
カリフォルニア州ロサンゼルスに移住したのは1993年。その時最初にしたのが車探し、それもBMW2002(通称マルニ)を徹底的に探した。
マルニとはBMWが1966-77年にかけて開発・販売を行ってきた小型セダン(現在ではクーペに位置づけられる)で、最初の1600モデルから2002と呼ばれるモデルへと引き継がれ、その後、3シリーズにバトンタッチした車だ。
73年後期からテイルランプの形状が丸形から角型に変化したが、私が探していたのは73年前期までの丸形テイルランプモデル(通称丸目)だった。
子どもの頃に憧れたカッコいいクルマ
なぜこの車が欲しかったのか。単純に子供の頃見てカッコいい、と思ったからだ。しかし自分が免許を取って車を購入する頃にはすでに廃盤、程度の良い中古車を探すのは日本では難しかったし、価格も高かった。
その後米国東海岸、フランスと移り住み、特に車が必要と感じない生活を送っていた。米西海岸という車が必須の社会に住むことになり、子供の頃の夢を実現しようと考えた。
クラシックカーを買うならカリフォルニア
カリフォルニア、特にロサンゼルスは「クラシックカーを買うならカリフォルニア・カーにしろ」と言われるほど、雨が少ない乾燥気候のためかなり程度の良いユーズドが残っている場所でもあった。
例えば私が最初に自分で1986年に購入した車は日産パルサーEXAだった。83年発売のEXAだが、ロサンゼルス周辺ではまだ現役で走っているのを見かける。カリフォルニアには70年代、80年代の日本車をこよなく愛する人々のコミュニティが存在し、一世を風靡した日産シルビア、ケンメリ、初代フェアレディZ、トヨタスープラ、マツダRX-7なども普通に見かける。
そんな場所だからこそ、マル二が買えると思った。リサーチの結果5台のマルニが見つかったが、3台は73年以降、つまり角目のライトだった。マニュアル車が好きなのでできればマニュアル希望だったが、1台は3速オートマチックだった。ところがこのオートマチック車に私は一目惚れしてしまった。
なぜかといえば、この車が20年間ワン・オーナーだったこと。しかもかなり愛着があるらしく、非常に良い状態でキープされていた。試乗に行く時に同行したメカニックの友人が「これは絶対に買いだ」とお墨付きをくれたことも大きかった。
27年故障なし
以来27年間、この車を所有しているが、エンジンやトランスミッションが壊れたことは一度もない。しかもリビルド(エンジンを分解、再構築すること)さえしていない、完全なオリジナルなのである。車好きの人が時々寄ってきて車を見せて、と頼まれるが、誰もが「こんなにオリジナル部品が残っているなんて」と驚く。
マルニはカリフォルニアでは時々見かけるが、形状はそのままだが中身は大幅に改造あるいは別の車の部品が載せられた「なんちゃってマルニ」であることも多い。
もちろん、古い車だけにマイナーな故障は多い。ケーブルやパイプなどが腐って切断する、というのが多いがボディの一部にサビが出たり、サスペンションの連結部分が緩んだり、とこれまで27年間の修理費用を合算すると安い新車くらい買えるかもしれない。
しかし、この車は今でもOEM(相手先ブランドによる受託製造)で部品が購入できる。それだけ根強いファンが多いのか、パーツがないから修理できない、ということがなかった。今でも時速70マイル(時速112キロ)くらいなら余裕で出るし、足回りは非常にしっかりとしている。
しかし時代は流れ、購入当時は修理に出すにも困らなかったマルニが、最近では修理工場から断られるようになった。この年式の車を触ったことがないメカニックが増えたためだ。
助けてくれたオールドカーファン
自分で修理できない以上、車を手放すべきなのか。そう悩んでいる私を助けてくれたのは、オールドカーファンの人々だ。カリフォルニアならではのオールドカーファン、そして見ず知らずの人間に手を差し伸べてくれる人々と出会えたことが、この車に乗り続けることの醍醐味ともなった。
まずは数年前、ヘッドライトの片方が点灯しなくなり、同時にバッテリーが上がることが増えた。修理工場を3件回ったが、いずれも断られた。ある日ホームセンターの駐車場でバッテリーが上がり、ヒッチハイクよろしく通りすがりの車の人に「ジャンパーケーブル持ってませんか」と聞く羽目に陥った。その時に出会ったのがウォルトさんだった。
彼は1950年代のシボレーピックアップを運転していた。しかも荷台には本格的な工具がぎっしり。聞くとリタイアしたメカニックなのだという。そこで車のことを相談すると、「じゃあ見てあげようか」と言ってくれた。もう工房がないので私の自宅に何度も通い、ライトと電気系統の問題を解決してくれたのである。
しかも私の車が彼のエンジニア魂に火をつけたのか、その後も時々うちに来ては全体のオーバーホールや部品交換をしてくれて、非常に楽しい交流となった。残念ながらウォルトさんはその後本格的なリタイア生活のため、郊外に引っ越してしまった。
BMWの鍵穴を直してくれた20代の若者
今年に入り、今度は運転席側の鍵穴が劣化のため抜け落ちる、というトラブルに見舞われた。これも鍵の専門店に聞いたが修理できない、と断られた。仕方なくしばらく助手席側から出入りしていたのだが、それを見ていた若者から修理をしましょうか、と声をかけられた。
彼、ライリー・コイダルさん(24)とはスーパーの駐車場で出会った。買い物を終えて車に戻ると、彼が車の隣に立っていた。乗っていたのは1984年モデルのベンツ190D。しばらくクルマ談義をした後で、「助手席から乗ってたけど、鍵に問題があるの?」と聞かれ、説明すると「直してあげようか」と言うのである。「どう見ても20歳前後の若者がマルニを修理?」と驚いたが、彼もマルニを所有している、という。
そして本当に直してくれた。後で判明したのだが、ライリーさんの彼女と私の娘は高校の同級生だった。つまり自分の息子のような年齢の若者が、単にマルニを所有しているというだけの私に親切にしてくれたのだ。
車好きでつながった修理の輪
さらにその後、今度はフロントのウィッシュボーンサスペンションの連結部分のゴムがこれまた劣化して落下し、サスペンションがグラグラになる、という問題が発生した。
この時もライリーさんに相談すると、マット・シュワルツさん(29)という友人を連れてわが家にやって来て車を点検、「これなら自分たちで直せる」というのである。このマットさんも68年のマルニを所有、しかも父親、デビッドさんは1969年モデルの1600カブリオレを所有する、というまさにマルニ一家だった。ちなみにデビッドさんは以前BMWディーラーに勤めており、まさに修理のスペシャリストでもあった。
彼らは合計4日間うちに通い、真っ黒になりながら見事に修理してくれた。しかも謝礼を申し出ると「楽しかったから要らない」というのである。もちろんそれは困るので多少のお礼はしたが、今のメカニックが直せないような車を20代の彼らが自分たちの手で直してしまう、ということに甚く感銘を受けた。
最後の仕上げはマットさんの家で行い、デビッドさんまで参加してくれたが、「すごいオリジナル部品の残ったマルニがある」と彼らが言ったせいで車好きの人が見に来て、まるで小さなクラシックカーショーのような風景となった。
製造10年で乗り換えはエコか?
こういう若者がいるとクラシックカーの未来は明るい、まだまだ数十年マルニは現役で頑張れそう、という気持ちになる。彼らも「今道路を走っている車がすべて廃車になった後でも、僕たちの車はきっと残っている」と豪語していた。
マットさんがマル二を所有したきっかけはやはり父親の影響、父子で古い車を修理して新品のように蘇らせている。ライリーさんは高校時代、最初に買ったのが1600ドルのマル二だったという。もちろんこの値段だから相当ボロボロだったが、自分が出来る範囲で少しずつ修理して乗っていた、という。
オールドカー、排気は申し訳ないが非常にダーティである。今のクリーンエンジンと比べたらCO2(二酸化炭素)排出量は100倍近いかもしれない。カリフォルニア州では大気汚染防止の観点から、85年以前の車を1500ドルほどで政府が買い取り、よりクリーンな車への買い替えを奨励しているから、まさに走る汚染車なのかもしれない。
しかし環境へのフットプリント(影響度)という点ではどうか。1台の車を廃車にし、新しい車を購入することと、多少排気に問題はあるが古い車に乗り続けること、総合的に考えるとどちらがエコなのか。製造から10年で主要部分が故障し、交換パーツが買えない車と、47年たっても壊れずパーツも購入できる車、一体どちらがエコなのか。
乗って楽しい“友だちができる”クルマ
それに、そういう議論の前にマルニは見て楽しい、走って満足出来る車なのである。サスペンションを直してもらったマルニはまるで新車のように固くて、しかもパワステもないのに軽快なハンドル操作が楽しめる車に戻った。
また、今回のようにマル二に乗っていると友達ができる。普段走っていても、隣の車から親指を立ててもらったり、ガソリンスタンドで話しかけられることも多い。私にとってはやはりこれが究極のエコカーなのである。
(土方細秩子・ロサンゼルス在住ジャーナリスト)