30代が地方へI・Uターン 仕事も生活も両立=藻谷ゆかり
2020年春の新型コロナウイルス感染拡大は、都会に住み、働くリスクを顕在化させ、テレワークやオンライン会議の普及を促すとともに、人々の働き方や暮らし方を大きく変えた。
4月7日の緊急事態宣言前後から、コロナ感染を避けるために一時的に都会から地方に移住する「コロナ疎開」が起こり、長野県軽井沢町や栃木県那須町の別荘利用が例年より多くなった。6月以降は東京都から転出する「コロナ転居」が活発化し、通勤時間がかかっても近郊の茨城県や千葉県などの郊外の広い一戸建てへ引っ越す人が増えた。本特集で取り上げる「コロナ移住」はこれらの「疎開」や「転居」とは違い、コロナ禍をきっかけに働き方や暮らし方を変えて、地方に移住することを示す。
選ばれる「寛容な町」
本誌5月5日・12日合併号「地方で働く」で筆者は「コロナ禍は若い世代の人生設計に大きく影響する可能性がある」と指摘したが、実際に都会に住む若い世代の中には、それまで考えてもみなかったIターン移住をした人たちが出てきている。その背景には、オンライン会議などの新技術の普及に加え、若い世代が移住したくなる住環境の整備や迎え入れる町の寛容さなどがある。コロナをきっかけに自分の出身地へのUターンが予定よりも早まった事例もある。
「地方に滞在しながら仕事と休暇を行う」ワーケーションや、各地のコワーキングスペースやシェアハウスを利用し「旅をしながら働く」多拠点居住が普及すれば、都会と地方をゆるやかに行き来しながら、仕事も生活もエンジョイすることが可能になる。こうした動きが加速すれば、東京一極集中が緩和され、地方の活性化が促進されることも期待できる。
本特集では、Iターン2事例、Uターン2事例、いずれも30代の4ケースを紹介する。
◆Iターン 月1・5万円の家で生活一変 都会っ子夫婦の高知移住
8月中旬、大阪市から高知県梼原(ゆすはら)町に移住した塚原壯太さん(31歳)は、コロナ禍以前は「典型的な会社人間」だった。専門商社に勤務し、週2、3回は残業後に同僚と飲みに行って終電を逃すこともあるという生活を送っていた。
今年3月、勤務先でコロナ感染者が出たために在宅勤務となり、新婚の妻こなつさん(29歳)と一緒に過ごす時間が増えた。2人は昨年9月に入籍し、3月にはハワイで挙式する予定だったがキャンセルに。ただ、壯太さんが仕事後に飲みに行くこともなくなって、こなつさんは「夫婦一緒に過ごす時間が増えてうれしい」という感情が湧いてきた。壯太さんも「一度、在宅勤務を経験すると、オフィスへの通勤が無駄に思えてきた」。
コロナをきっかけに、塚原さん夫婦は今までの働き方や暮らし方に疑問を持ち、ともに兵庫県出身で都会育ちの2人が、全く考えたことがなかった地方移住を検討するようになる。そしてオンラインで参加した全国移住フェアで、「月1万5000円の家賃で、リフォームした家に住める」梼原町(71ページ参照)の存在を知った。
まずは動画配信
梼原町は人口わずか3400人ほどの山あいの町で、高知市にも松山市にも車で1時間半かかる。2人が実際に行ってみると、新国立競技場も手がけた建築家の隈研吾氏が設計したホテルや町役場、図書館が建ち並び、町全体がおしゃれな雰囲気だった。何より家賃月1万5000円のリフォームした家はあと3軒だけとあって、一挙に地方移住の気持ちが高まった。
壯太さんは勤務先に5月末に退職届を提出し、2人は8月中旬に梼原町に移住した。そして移住の経緯や地方の生活で驚いたこと、困りごとなどを「つかはら夫婦 都会っ子2人の地方移住Vlog」として動画投稿サイトYouTube(ユーチューブ)で配信している。まだ収益化はできていないが、今後ネットビジネスの一つの柱として広告収入を得るユーチューバーでの自立を目指し、さらに地域の空き家を有効活用した起業も検討している。
塚原さん夫婦が貯金で生活しながら起業を検討できるのも、梼原町は家賃が格安なだけでなく、直売所で新鮮な野菜が安く買えるなど、生活費も安いからだ。オンラインで移住先を見つけ、オンラインでビジネス展開をはかる塚原さん夫婦は、新しい地方移住の実践者だ。
◆Iターン 小布施「町おこし」専門官に 渋谷ベンチャーの経験生かす
長野県小布施町の総合政策推進専門官に任命されて6月末に東京からIターン移住した林志洋さん(30歳)。それまでも町の総合計画策定などに携わっていたが、移住するきっかけはコロナだった。
林さんは技術やアイデアが社会に実装されるプロセスに興味を持ち、東京大学公共政策大学院の「キャンパスアジア」というプログラムで東京大学と北京大学、ソウル大学で学んだ。卒業後は外資系コンサルティング勤務を経て、スタートアップの支援を行う「エッジ・オブ」の立ち上げに携わり、渋谷を拠点として新規事業創出に取り組んでいた。
同時に、友人の誘いで18年2月に「小布施若者会議」に参加したことを機に、毎月のように小布施町を訪れていた。林さんは公共政策のバックグラウンドを生かし、19年には小布施町の「総合計画」の策定にも携わった。
コロナでエッジ・オブが渋谷の拠点を閉鎖してデジタル事業にシフトしたことをきっかけに、林さんは「これから東京にいる必要があるのか」と考えるようになった。海外の研究機関に行くことも考えたがコロナ禍では難しく、東京で息が詰まるような生活を送っていた。
そんななか、今年4月に林さんの友人が小布施町の総務課長に就任した。他にも同世代の仲間が小布施町に移住して活躍しており、林さんも彼らと共に今まで提案してきた政策を実行したいという思いが強くなった。友人に相談したところ、とんとん拍子に話が進み、林さんは小布施町の総合政策推進専門官に任命されて6月末に移住した。
町長「町を踏み台に」
小布施町は人口1万1000人、面積は長野県で最も小さい自治体である。景観が美しく、平らでコンパクトな町は生活しやすい。
いい意味で仕事と暮らしが密接に結びついており、買い物に出かけた先のスーパーで会った人と立ち話をして、新しいまちづくりのアイデアが生まれたりする。町役場ではそうした提案も比較的すんなり通り、そのまま実行も任される。「いいアイデアがあっても、実際に実行してみるのは難しい。コンパクトな小布施町ではそうした社会実証が行いやすい」と林さんは語る。
小布施町の市村良三町長は、林さんの両親が町に来た際、「林さんには小布施町を踏み台にして、今後も活躍してほしい」という言葉を掛けたそうだ。日本の首長で、このセリフを言える人は何人いるだろうか。筆者が地方で耳にするのは逆に、地域おこし協力隊や外国人研修生など、外から来た若者を使い倒そうとする話だ。外から来た若い人材に社会実証のチャンスを与えながら、町に囲い込もうとはしない小布施町の姿勢は素晴らしい。
小布施には江戸時代、葛飾北斎が84歳から90歳で没するまでの間、江戸から4度も来て長逗留(とうりゅう)し、貴重な肉筆画を残している。「外からの人材を大切にする」精神が、今も生き続けていることを感じさせるエピソードである。
◆Uターン 野辺山の旅館で「複業」 ウェブ制作で両親助ける
八ケ岳の麓(ふもと)、長野県南牧村にある旅館「野辺山荘」は、新鮮な高原野菜を使ったおいしい料理が評判で、宿泊予約サイトでも評価が高い。この旅館の4代目になる小原大暉さん(30歳)は、今年6月末に東京・渋谷のウェブ制作会社を退職し、Uターン移住した。「いつかは継ぐ」予定を早めたのはコロナだった。
小原さんは信州大学大学院を14年に修了し、長野県内の木材会社で営業職として4年半働いた。18年10月に渋谷にあるウェブ制作会社に転職し、ウェブ・ディレクターとして大手企業のホームページの制作をしていた。小原さんにとって都会での仕事は「武者修行」であり、業務上学ぶことが非常に多かったという。
継ぐなら「今でしょ」
転職して1年半ほどでコロナ禍が起こった。コロナ前から東京以外の支社にいるデザイナーやエンジニアとオンラインでやり取りをしていたため、テレワークで仕事を進めること自体は全く問題なかった。しかし旅館の様子を聞くために実家に連絡すると、「5月の連休はいつも満室なのに、今年は自粛で稼働できない。廃業を考えている」と両親から告げられた。
長男である小原さんは「いつかは実家の旅館を継ごう」と考えていたが、旅館の窮状を知り、ちょうど30歳になったこともあって実家に戻ることを決意する。上司に辞職を願い出たが継続中の仕事があったため、一度退職しその後は契約社員としてウェブ制作の仕事を継続することになった。
小原さんは7月から実家の旅館の仕事に関わりながら、平日の昼間や深夜にウェブ制作の仕事をしている。旅館がコロナ関連の助成金を申請する書類作成やGoToキャンペーンのウェブ設定を行ったが、そうした仕事は高齢の両親にとって重荷に感じることだったという。今後も小原さんは旅館の業務とウェブ制作の二つの仕事を「複業」(囲み参照)で続けていくつもりだ。
◆Uターン 一家6人で奈良の実家へ 遠隔で東京の人事・広報
実家のある奈良県御所(ごせ)市に、家族6人でUターン移住した木村智浩さん(39歳)は、IT企業での人事・広報という仕事をテレワークで行いながら、小規模農業を始めることを考えている。
木村さんは早稲田大学卒業後、04年にベンチャー企業のガイアックスに入社。法人営業からスタートし、その後は人事や採用を担当しながら、社内でいくつかの新規事業を手がけていた。ガイアックスは「人と人をつなげるため、ソーシャルメディアとシェアリングエコノミーに注力し、社会課題の解決を目指す」ことをミッションとしており、以前から社員たちがテレワークをはじめ、多様な働き方を実践していた。
実は木村さんは、20年から「家族で全国各地に滞在する」という暮らし方を始めることを思い描いていた。発端となったのは、長女が小学校に入学する前年の16年に、家族で沖縄に2カ月間滞在したことだった。まだ「ワーケーション(休暇先で働く)」という言葉もない頃で、木村さんは滞在しながらゆっくりと観光し、働くことの喜びを知った。東京に戻ると、むしろ「トランジット(一時的な経由地)として東京に滞在している」という感覚になったという。
「ベランダで仕事」から解放
そこで木村さんは、20年からはガイアックスの社員が創業したADDress(アドレス)という多拠点居住システムを利用して、家族で全国各地に滞在しながら仕事をするつもりだった。
ところがコロナ禍が起こったため、多拠点居住は実現せず、東京の2LDKのマンションで、小学校4年生から1歳の娘4人と夫婦が過ごすことに。木村さんは、「テレワークする場所がなくて、ベランダで仕事をした」と振り返る。妻も奈良県出身であったこともあり、3月下旬に御所市にある木村さんの実家に家族6人で移り住んだ。
Uターン移住して良かったことは、広い家に住めること、また子供たちが通う保育園には広い園庭がありのびのびできることだ。さらに木村さんは、サステイナブルな小規模農業に興味を持っており、実家に住むことは地縁が必要な農業をするには好都合である。
多拠点居住を考えていた木村さんにとって、Uターン移住は全く予想もしていないことだったが、コロナ禍をきっかけに新しい生活と可能性に出会えた。
(藻谷ゆかり・『コロナ移住のすすめ』著者)
地方は「複業」が当たり前
筆者は9月に毎日新聞出版から刊行した『コロナ移住のすすめ 2020年代の人生設計』で、コロナ禍以前にさまざまな理由で地方移住した20事例を研究し、地方移住の背景にあるパラダイムシフトを見いだした。その一つが「専業から複業へ」というものだ。
この場合、専業に対しての「副業(サイドビジネス)」ではなく、いくつかの仕事を掛け持ちして生計を立てていく「複業」ということである。
もともと日本の農家の約7割が兼業農家で、平日はメーカーに勤めながら休日は農業に従事する人が地方には結構いるが、どちらの仕事も大切な本業だ。
拙著の事例では「地方に来る、住む、働く」をプロデュースする長野県塩尻市のたつみかずきさんを紹介した。たつみさんは廃業した旅館をシェアハウスにして運営し、アンティーク雑貨の販売や撮影の仕事をし、さらに地方でのビジネス展開についてセミナーを開催している。
本特集でも、長野県南牧村にUターンした小原大暉さんは、家業の旅館とウェブ制作を「複業」しており、奈良県御所市にUターンした木村智浩さんは、テレワークでIT企業の人事・広報の仕事を行いながら、地方で小規模農業にも取り組もうとしている。
こうした「複業」のメリットは収入源の多様化でリスクヘッジになることや、「複業」することでそれぞれの事業に役立つ新たな学びの機会があることだ。
(藻谷ゆかり)
「孫ターン」「嫁ターン」も
本特集ではIターンとUターンの移住事例を取り上げたが、実際には「孫ターン」「嫁ターン」などさまざまな移住のきっかけがある。
「孫ターン」というのは、都会に住む孫が空き家になっていた祖父母の家に移住することである。家賃ゼロというのが魅力であり、また祖父母が暮らしていたので地縁もある。祖父母たちの子の世代は都会に憧れて出て行くが、次の孫世代はむしろ田舎暮らしを志向することがあるのだ。
「嫁ターン」とは妻の出身地にUターンすることだ。Uターンというと「地方出身の長男が実家を継ぐ」というイメージが強いが、妻側の出身地に戻ると子育てなどで実家のサポートが得られることがメリットである。
さらに「追いターン」という移住のきっかけもある。実は筆者一家が2002年に長野県に移住した翌年に、夫の両親も同じく長野県に「追いターン」移住した。「追いターン」は、親世代の移住した地域に、後から子世代が移住するケースもある。
コロナ後に増える可能性があるのが、子供を地方でのびのび育てるための「教育移住」だ。筆者が長野県に移住したのも、子供3人に都会の受験戦争を経験させずに育てたいと思ったからだ。また地方では保育園に入るのは都会に比べて容易であり、長野県では公立の保育園であっても自然体験を取り入れた保育を行っている保育園もある。
(藻谷ゆかり)