CO2排出ゼロで「日本から製鉄所が消える」の衝撃
菅義偉首相が昨年10月、国会の所信表明演説で2050年にCO2など温室効果ガスを実質ゼロとする「カーボンニュートラル」を目指すと宣言したことで、鉄鋼業界に激震が走った。
「積極的に温暖化対策を行うことが、産業構造や経済社会の変革をもたらし、大きな成長につながる」と首相が強調した通り、脱炭素化への技術開発を通じて成長を目指す産業政策は世界的な潮流になっており、日本がその流れに背を向けることはもはや不可能といえるだろう。
とはいえ、「言うはやすく行うは難い」のも事実で、その最右翼が製造時に大量のCO2を排出する鉄鋼業だ。
石炭を使用せずに鉄を製造することは、従来技術とは非連続のイノベーションが必要になるが、有力視される水素による代替にはまだ技術的な課題が多く、一歩間違えれば日本から製鉄所が消滅する危険性もはらんでいる。
国を支えた大量生産
経済産業省によると、18年度に日本が排出したエネルギー起源CO2は年間10億6000万トン。
産業界では鉄鋼業の排出量が約1億5900万トンと最大で、これに続く化学業界の約5700万トンと比べても圧倒的だとわかる。
鉄鋼業が大量のCO2を出しているのは、代表的な生産設備となる高炉での製造法に原因がある。
鋼材のもととなる「銑鉄(せんてつ)」は鉄鉱石を原料とするが、これだけでは銑鉄にならない。高炉には鉄鉱石とともに、製鉄用では原料炭と呼ばれる石炭を蒸し焼きにしたコークスを還元剤として投入する。この還元時にCO2が発生するのだ。
日本国内に14基の高炉を持つ鉄鋼最大手の日本製鉄の場合、グループ全体で排出するCO2は9400万トン(19年度、以下同じ)を超える。2位のJFEホールディングス(HD)で5420万トン、3位の神戸製鋼所でも1650万トンだ。
全てが高炉から発生したCO2ではないが、鉄鋼業の中でも高炉を持つ上位3社の排出量が大部分を占めている。
高炉は産業革命で鉄鉱石とコークスを使う今の技術が生まれ、安く大量生産できるようになった。
19世紀のドイツ・プロイセン帝国の宰相ビスマルクの演説に由来する「鉄は国家なり」が示すように、粗鋼生産量が国力を示す重要な指標との認識は20世紀の日本でも引き継がれ、戦後に鉄鋼業界から数多くの財界トップを輩出してきた。
特に、高さ50メートルにも及ぶ偉容を誇る高炉は基幹産業としての鉄鋼業を象徴する設備となり、これまでの鉄鋼業では高炉を大型化し生産効率を高めてきた。
ところが、カーボンニュートラルを目指すとなると、後述するように大量生産モデルを続けるのは困難になる。
50年前倒し
石炭を使わずに鉄鉱石を還元し、高純度の銑鉄を取り出す方法はないか──。
以前から期待されてきたのが水素を還元剤とする製鉄法だ。
水素還元は世界各国の鉄鋼業界が開発を試みており、実用化できれば鉄鋼産業のあり方を一挙に変化させる夢の技術。しかし「正夢」とするには乗り越えなければならない高いハードルが幾つもある。
日本では08年から、「革新的製鉄プロセス技術開発(COURSE50)」と呼ばれるプロジェクトで、日本鉄鋼連盟が新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)の委託を受けて開発を進めている。
日鉄の東日本製鉄所君津地区に試験高炉があり、水素還元やCO2の分離・回収が試行されているが、技術的な確立はまだ先の話になっている。
18年に鉄鋼連盟は「2100年のゼロカーボン・スチールを目指す」と長期ビジョンで示しており、少なくとも21世紀での実用化は想定していなかった。
ところが、菅首相の表明や、米国の政権交代でバイデン大統領が温暖化対策の国際的枠組み「パリ協定」への復帰に署名したことから、時間軸は50年へ早まろうとしている。
しかし水素還元で炉内の熱が吸収され、炉の温度が下がることによって生産性や操業の安定性が落ちるといった技術的な課題に加え、仮に実現しても大量の水素をどうやって確保し、輸送・貯蔵するのかにめどを付ける必要がある。
現在は鉄鋼を大量生産するための水素インフラはほぼ未整備であり、今後のインフラ構築が重いテーマになる。
水素還元製鉄に向けた研究開発や実用化試験は、欧州が先行していると言われ、スウェーデンやオーストリアの企業、そしてアルセロール・ミタルがドイツの工場で実用化を進めている(表)。
ただし欧州企業は日本と違い、今ある高炉を使うことを必ずしも前提としていない。
欧州の事例を検証すると、水素還元製鉄の課題も見えてくる。
1トンの鉄を水素で作るには原理的に1000N立方メートル(1気圧での量)の水素が必要になる。
水電解プラントの大型化が進んでいないため水素の製造コストが高く、現在の価格は1N立方メートル当たり100円。つまり1トンの鉄でかかる水素コストは10万円だ。
現在の石炭を使った還元は8000円前後のコストで、12倍にも跳ね上がる。また水素は水を電気分解して作られるが、その電力は再生可能エネルギー由来となると、立地条件は限られる。
巨額の設備資金も必要だ。欧州で4000万トンの鉄鋼を製造するミタルは、高炉を直接還元鉄(DRI)プラントへ置き換えると最大400億ユーロ(約5兆円)の投資額になると試算している。
電炉の落とし穴
高炉に対し、環境に優しい製鉄法として注目を集めているのが電炉だ。
電炉は電気炉の略称で、建築物や廃車となった自動車の解体現場などから発生した鉄スクラップを電気で溶かし鋼材を作る。
高炉のようなコークスで還元する工程がないためCO2排出量は高炉の4分の1に低減可能だ。
しかし日本の市場構造を考えると、高炉全てを電炉へ置き換えればカーボンニュートラルが実現するほど事情は簡単ではない。
電炉は米国で最も普及しており、鉄鋼生産の70%は電炉鋼材が占める。日本では高炉鋼材が70%のシェアを握り、全く逆の構図だ。
高炉で製造された、自動車メーカーなど製造業向けの高級鋼材を主力製品とする日本では、電炉比率を高めるにも限界がある。日本で電炉が普及しにくい理由の一つが電力料金の高さで、産業用だと米国の約3倍とコスト構造が違う。
カーボンニュートラルとなると、電炉でも再生可能エネルギーによる電気を使っているのか問われる。
東京製鉄は田原(愛知県)や宇都宮(栃木県)、九州工場(福岡県)に太陽光発電を導入しているが、あくまで補助的なものだ。
米国では太陽光発電で電炉の消費電力を自給する工場が計画されているが、立地は陽光に恵まれたアリゾナ州で1日に14時間、冬季でも10時間の日照時間がある。日本で日照時間が最も長い山梨県と比べても年間で1・5倍の差があり、日本で同じような工場を作るのは極めてハードルが高い。
電炉に目を付けているのは2060年のカーボンニュートラルを表明した中国も同じだ。今年からは鉄スクラップの輸入を解禁し、政府として電炉の新設を奨励している。
中国で電炉が増えれば、鉄スクラップや黒鉛電極の消費量が増え、国際相場にも影響することが予想される。中国の「爆食」で電炉鋼材の関連コストが跳ね上がるリスクにも留意すべきだろう。
高関税でEU企業を保護
水素還元の製鉄設備は高炉ほどの大量生産ができず、生産性は下がるのが確実だ。さらに設備投資で償却負担は増える。
それでも欧州の鉄鋼企業が実行に動いている背景には、欧州連合(EU)政府が23年にも「国境炭素税」を導入するからだ。
EUが輸入する製品に、製造過程でCO2を大量に発生させているものには炭素税として高関税を掛ける考え方だ。
欧州でCO2排出を減らしても、他地域からCO2を排出して作られた安い鋼材が輸入されては努力が水の泡になる。
域外から流入する低コストの鉄鋼製品に高関税を課すことで、欧州の鉄鋼企業の価格競争力で劣らないような仕組みを取り入れ、域内での産業保護を狙う政策だ。
これに対し、日本ではCO2の排出量に応じ課税する「カーボンプライシング」の導入が検討されている。
CO2を減らす製鉄技術が確立してない現状では、高炉鋼材のコスト増につながるだけだろう。
日本の鉄鋼メーカーがCO2削減のコストを製品価格に転嫁しようとすれば、その分、中国や韓国、東南アジアなどで製造された鉄鋼製品に比べ国産品の価格競争力が劣勢となりかねない。
近隣諸国から輸入が急増した場合は、日本から高炉が消えるという結末も否定できない。
とはいえ、今後の鉄鋼業はCO2が最大の経営課題になることは確実だ。
JFEHDは昨年9月に30年度のCO2排出量を13年度比で20%以上削減し、50年以降のカーボンニュートラル実現を公約した。
ESG(環境・社会・企業統治)投資や、企業の購買行動で脱炭素化した製品が優先されるグリーン調達の観点からも、CO2対策を示せなければ歴史のある大手でも「退場」を迫られかねない時代を迎えている。
(真田明・ジャーナリスト)
(本誌初出 鉄鋼業 脱炭素の激震 日本から製鉄所が消える? 水素で代替生産は未知数=真田明