「不安な時代」を生き抜く 経済的独立&早期リタイア=種市房子
<もう会社に頼らない FIRE資産形成術>
米国でブームを巻き起こした「FIRE(ファイア)」が、日本でも広がりを見せている。「火」を意味する英単語でも、缶コーヒーのブランド名でもない。「Financial Independence, Retire Early」を意味する英語の頭文字で、まとまった資産を形成して経済的に独立し、運用益を取り崩すなどして早期リタイアを目指す生き方だ。(FIREの資産形成術 特集はこちら)
その先駆例が、2019年に30歳で大手企業を退職し、「適度な田舎」でFIRE生活を送る穂高唯希(ゆいき)さんだ。FIRE時の資産は7000万円。FIREに至るまでは、徹底して家計を管理して、給与の8割を資産運用に回した。資産運用の基本は高配当・連続増配株式投資。日米などの高配当株・連続増配株を買い付け、配当を得ながら資産残高を拡大してきた。
FIRE後は、主に増配株で運用する。20年3月のコロナショック後は、株価が下落した米小売りコストコホールセールや米金融サービスMSCIの株式を購入した。ただ、リスク分散のため、単一銘柄がリスク資産全体の5%程度を上回らないようにしている。資産残高は今、1億円台に乗せており、配当益や運用益の取り崩しが収入の柱の一つだ。だが「FIREとは働かないことではないと思っている」と言い切る。
FIRE後の生活とは、どんなものなのか。穂高さんは日によって大きく異なるものの、午前5時半に起床し、午後10時には就寝する。農作業や林業、冬には除雪作業など「興味ある活動」にも携わり、作った野菜は親類や近所にもおすそ分け。こうした活動のほか、資産運用のアドバイスなどを掲載するブログやコラムの執筆からも収入を得る。
コロナで生活一変
穂高さんは既成概念に縛られない人生を送りたいと、早くからリタイアを目指してきた。「経済的自立により生じた時間で、好きなこと、興味のあることをして理想の生き方を追い求める。それが、社会性があることならば、人に喜ばれて、お金もいくばくか入ってきて、結果的に精神的にも豊かになる」と話す。キーワードは「社会の一員として何かしら貢献すること」だ。
穂高さんの著書『本気でFIREをめざす人のための資産形成入門』は20年7月の発売以来、7・5万部を売り上げた。出版元の実務教育出版によると、発売から1年が経過しても書店から注文が相次ぎ、重版がかかっているという。個人投資家から穂高さんのブログへのアクセスも多く、FIRE生活にあこがれる人は今、引きも切らない。
なぜ今、FIREが人々の心を捉えるのか。その大きな理由の一つには、収入がいつ大きく減少したり途絶えたりするか分からないことへの不安があるだろう。昨年からの新型コロナウイルス禍で突然、飲食業や旅行業などで休廃業が相次いだ。社会保障や政策による支えも十分ではなく、結局は自分の身は自分で守るしかない、と改めて多くの人が感じ取ったことだろう。
ただ、それ以前から日本では、所得は増えないどころかむしろ減る傾向にある。厚生労働省「国民生活基礎調査」によれば、最新データである19年調査(18年1〜12月の所得)の所得分布で、中央値は437万円だった。20年前の1999年調査(98年1〜12月の所得)の中央値は544万円であり、100万円以上も低い方へとシフトしている(図)。
「1億円」は必要に
日本経済はこの間、生産性が上がらず、企業の海外移転が進み、非正規雇用も増加した。環境変化の激しい状況下にあって、企業はもはや黒字でも人員削減に躊躇(ちゅうちょ)しなくなっている。この先、働き続けても、所得の上昇どころか雇用の安定も望みにくい。それならば、いつ不測の事態が起きても生活に困らないよう、収入があるうちに資産形成しておきたい──。人々の間にそんな心理が働いていることは想像に難くない。
そうした心理を支えるのが、足元の投資環境だ。米国の代表的な株価指数であるS&P500はコロナショック後、昨年8月には早くもコロナ前の過去最高値を更新し、今なお右肩上がりの上昇基調を続ける。日経平均株価も今年2月、実に30年半ぶりに3万円の大台を超えた。早くから投資を通じて資産形成しておけば、将来に大きなリターンが得られるのでは、との期待もあふれる。
では、就労所得なし・資産収入のみでFIRE生活を送るには、どの程度の金額が必要だろうか。独身で倹約生活を送るとしても、「1億円は必要」というのが複数のファイナンシャルプランナーの一致した見解だ。子どもがいて教育費が必要だったり、海外旅行を毎年存分に楽しみたい、といった要素が加われば、さらに必要な資産は膨れ上がる。現実的には、資産収入のみで生活するFIREは難易度が高い。
平均的な所得を得る人が1億円の資産を築くには、20〜30代からコツコツと家計を改善し、時間をかけて投資する必要がある。雇用や給与減への不安を感じはじめている40〜50代には、FIREはさらに遠い話になる。ただ、実際にFIREする、しないにかかわらず、万一に備えて資産を形成することには意義がある。FIREを単に「夢物語」と片付けるのはもったいない。
(種市房子・編集部)