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「佐渡島の金山」推薦 韓国の反発の背後にある日本の「不誠実」と「認識の甘さ」 澤田克己

「佐渡島の金山」の世界文化遺産への推薦について記者の質問に答える岸田首相
「佐渡島の金山」の世界文化遺産への推薦について記者の質問に答える岸田首相

 日本政府が「佐渡島の金山」の世界文化遺産登録を目指し、ユネスコに推薦することを決めた。韓国の反発を考慮して今年は見送るとの見方もあったが、自民党保守派からの突き上げを受けて岸田首相が方針を一転させた格好だ。今回の推薦はかなり無理筋に見える。今の日本のやり方は、世界遺産委員会での採択をわざわざ難しくしているようなものである。理由を改めて整理したい。

「佐渡島の金山」の推薦決定を喜ぶ地元関係者
「佐渡島の金山」の推薦決定を喜ぶ地元関係者

 17世紀に世界最大級の金の産出量を誇った「佐渡島の金山」。金の採取から精錬までを手作業で行っていた時代の遺跡は、世界的にも珍しいものだという。だが今回の問題は、その「文化財としての価値」とは全く別のところにある。

 韓国の反発は、戦時中の徴用工ら朝鮮人労働者が「強制労働」させられた現場であることを無視しているという主張だ。日本側は、推薦対象は江戸時代に限ったので朝鮮人労働者とは無関係であり、したがって韓国も本件の当事者ではないという立場を取っている。要するに無視してきた。

結局は「軍艦島」の遺恨試合

 ここで問題になるのが、2015年に登録された「明治日本の産業革命遺産」である。軍艦島として知られる長崎・端島炭坑で多くの朝鮮人労働者が「強制労働」させられたことが無視されていると、韓国が問題視した。「強制労働」という言葉そのものにも論点は多いが、今回の本筋とは関係ないので深く立ち入らないことにしたい。

 この時も日本は、対象年代を「幕末からロンドンで日英博覧会が開催された1910年まで」と区切った。日本が朝鮮を植民地にしたのは1910年だから、それ以前の話だという理屈だ。ただ少なくとも私の周囲には日英博覧会を知っていた人はおらず、「そんなのがあったのか」と変に感心するような区切り方だった。

明治日本の産業革命遺産の世界遺産登録が決まり、取材に応じる岸田外相(当時)
明治日本の産業革命遺産の世界遺産登録が決まり、取材に応じる岸田外相(当時)

 韓国は姑息なやり方だと反発した。だが最終的には、日本が「自らの意思に反して連れてこられ、厳しい環境下で働かされた多くの朝鮮半島出身者がいたこと」を資料センターなどで説明すると約束して収めた。日本は登録を決めた世界遺産委員会の場で約束し、韓国も賛成に回って全会一致での採択となった。

明治日本の産業革命遺産の構成資産のひとつ、端島炭坑(軍艦島)
明治日本の産業革命遺産の構成資産のひとつ、端島炭坑(軍艦島)

 この約束に基づく産業遺産情報センターが一昨年、都内にオープンした。そして韓国が、展示内容が約束と全く違うと批判して再び問題となった。私もオープン直後に見せてもらい、とても複雑な気分になった。誠実に約束を履行しようという姿勢は、全く感じられなかった。わざわざ韓国を挑発しようとしているようにすら見えた。

「明治日本の産業革命遺産」の全体像を紹介する産業遺産情報センター
「明治日本の産業革命遺産」の全体像を紹介する産業遺産情報センター

 展示の最後にある資料室の片隅に、朝鮮半島からの勤労動員に関する法令や当時の行政文書が紹介されていた。そして、そこにある端末から関係資料を呼び出すことができる。図書コーナーにも朝鮮人強制連行をテーマにした本が何冊か置いてあった。とても合格点とは言えないが、0点とも言えないというのが率直な印象だった。

 経緯を知る日本政府当局者には「約束違反と言われないギリギリ(最低限)のことはやっている」と言われた。当時はそんな感じだろうかとも思ったが、今回、自民党保守派の重鎮議員の言葉を伝え聞いて、私の印象は全く変わった。

 この議員は、センターに対する韓国の批判について「(委員会を)通ってしまえばこっちのものだから。ざまあみろだね」と言ったのだ。品性に欠けるげすな発言だが、それだけに本音なのだろう。今になって見ると、展示コンセプトを見事に言い表しているようだ。

 こういう考えで情報センターを作ったのであれば、韓国が怒るのも当然だ。どんな展示内容でも韓国側が満足することはないかもしれないが、「文句を付けるのは簡単ではない」と感じさせるような作り方はあったはずだ。そうしていれば、佐渡島の金山でこんな問題は起きなかったのではないだろうか。

ユネスコの専門家も「約束が守られていない」と判断

 日本が世界遺産委員会で約束したことを反映させるにしても、万人を納得させることなど不可能だ。そこで、国際的な理解を得るという観点で、あえて以下のようにレベル分けしてみたい。①韓国の運動団体も称賛するようなレベル、②韓国の運動団体は納得しないが、政府は「文句を付けるのが難しい」と判断するレベル、そして、③韓国では全般に強い不満が残るものの、国際標準で言えば不合格とは言えないレベル――の3つだ。

 韓国の運動団体の主張はかなり誇張されていることが多いので、そもそも1番目はありえないだろう。近隣国外交という観点からは2番目を追求すべきだが、情報センターはこのレベルに達しなかった。ただ、最後の3番目のレベルをクリアしていれば、世界遺産委員会で他国の理解を得るのはそれほど難しくないかもしれない。

 だが、実はこれも落第点なのだ。センターの視察をした専門家が昨年、世界遺産委員会に提出した報告書は「強制的に働かされた人はいないと読める内容だ」と指摘した。これを受けて委員会は日本への「強い遺憾」を表明する決議を採択し、今年12月までに対応を取って報告するよう求めた。

 こうした「専門家」について、韓国のロビー活動を受けて発言しているのだと言いたがる人もいる。それが本当かどうかは分からないが、韓国のロビー活動がそれほど強力なのだとしたら、佐渡島の金山はなぜ安泰だと思えるのだろうか。

 世界遺産委員会で登録の可否を決めるのは、21の委員国だ。規則では3分の2以上の賛成で決まることになっているが、現実には全会一致で決めるのが慣例となっている。人類共通の普遍的価値を持つ遺産を保護しようという制度なのだから、争いはそぐわないということだろう。意見がまとまらない場合には、議長の裁量で翌年回しになることもある。

 世界遺産委員会は昨年、推薦書の提出前に当事者間の対話を促すという作業指針を定めてもいる。日本は今回、「時代が違うから韓国は当事者ではない」と無視したが、委員会が問題視する余地はいくらでもあるだろう。

「世界記憶遺産」は関係国との合意が必須に

 さらに、「世界の記憶(世界記憶遺産)」についてはユネスコの審議方法が昨年から変わった。関係国が異議を申し立てると手続きが止まり、当事国間での合意がない限り登録されない制度となったのだ。中国が申請した「南京大虐殺の文書」が登録されたことに反発した日本が働きかけた結果だった。

佐渡島の金山のシンボル「道遊の割戸」
佐渡島の金山のシンボル「道遊の割戸」

 世界の記憶と文化遺産は別の枠組みだから、今回の推薦とは関係ないというのが日本政府の主張だ。ただ、こうした主張も言っているだけでは意味がないし、今の日本のやり方で理解を得られるかは心許ない。

 自らの思いや主張を発信する時には、誰に聞いてもらいたいのか、どういう伝え方が最適なのかを常に考える必要がある。そうしなければ自己満足で終わり、望んだ結果は得られずにしこりだけが残ることになる。威勢よく発信すればいい、というものではないのである。

澤田克己(さわだ・かつみ)

毎日新聞論説委員。1967年埼玉県生まれ。慶應義塾大学法学部卒業。在学中、延世大学(ソウル)で韓国語を学ぶ。1991年毎日新聞社入社。政治部などを経てソウル特派員を計8年半、ジュネーブ特派員を4年務める。著書に『反日韓国という幻想』(毎日新聞出版)、『韓国「反日」の真相』(文春新書、アジア・太平洋賞特別賞)など多数

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