国際・政治

尹錫悦政権の“内紛”で懸念される日韓関係への悪影響 澤田克己

現在の尹政権の路線は、日本にとって歓迎すべきものではあるが… Bloomberg
現在の尹政権の路線は、日本にとって歓迎すべきものではあるが… Bloomberg

 韓国の尹錫悦(ユン・ソンニョル)政権で外交・安全保障を担当する部署の内紛が表面化した。日韓関係がようやく改善へ向かいかけている時だけに、気になる動きだ。

 大統領府で外交を統括する金聖翰(キム・ソンハン)国家安保室長が3月29日に突然辞任し、趙太庸(チョ・テヨン)駐米大使が後任に任命された。背景には安保室内での金室長と金泰孝(キム・テヒョ)第1次長の確執があったと見られているが、尹大統領は4月下旬に国賓として訪米することになっている。大統領訪米を1カ月後に控えた時期としては異例の人事である。

重要イベント控え要職が次々に交代

 異変が最初に察知されたのは3月10日。外務省から大統領府に派遣されていた儀典秘書官が突然交代した。6日に徴用工問題の解決策を発表したのを受け、急きょ決まった大統領訪日を6日後に控えていた。大統領外遊時の外交儀礼を統括するポストであるだけに、理解しがたいタイミングだった。

 さらに27日には、同じく外務省から派遣されていた大統領外交秘書官の交代が明らかになった。4月の大統領訪米と、尹大統領も招待されて5月に広島で開かれる主要7カ国(G7)首脳会議の実務を担当していた人物である。「(政権発足から)1年間の激務をこなした。通常の交代時期だ」という大統領府の説明を額面通りに受け取る人はいなかった。

 その時点で、韓国メディアは背景事情についてこう報じている。「訪米日程を調整する過程で、米国側から提案された重要な日程が大統領にきちんと報告されず、大統領府内部で問題になっていた」。ただ、人事として異例ではあっても、秘書官レベルの話ということもあって、深く追及してはいなかった。

国家安保室長が大統領への報告を怠った「重要な日程」の中身とは

 「重要な日程」の中身は、金室長の辞任を受けて詳細に報じられるようになった。米国のジル大統領夫人の提案を受け、K-POPのガールズグループ「BLACKPINK」と米国のポップスター、レディー・ガガによる公演を準備しようとしていたのだという。4人組のBLACKPINKは各国でチャート1位を連発するスターであり、レディー・ガガとのコラボも実績があった。

 韓国紙・朝鮮日報は辞任翌日の1面に「『ブラックピンク公演の米要請』7回報告せず……金聖翰更迭の内幕」という記事を大きく掲載した。同紙によると、米国が1月に提案したのにきちんと回答せず、米側から問い合わせを受けた在米韓国大使館が7回も回答を要請したのに放置した。3月初めになってから大統領の知るところとなり、金室長と2人の秘書官が更迭されたのだという。

 しかし、この件の対応に問題があったとしても、閣僚級ポストである安保室長のクビが飛ぶほどのことだろうか。朝鮮日報は「歌手の公演問題で国家安保室長まで交代、行き過ぎではないのか」という社説を掲載したが、誰でもそう思うだろう。

「安保室内の確執」という不安材料

 ただ、政界関係者の見立ては違った。韓国紙のベテラン政治記者に聞くと「公演の問題が決定打になったのは事実だが、それだけで更迭されたわけではない。積もり積もった内部の葛藤があったからだ」と話した。

国家安保室長を辞任した金聖翰氏
国家安保室長を辞任した金聖翰氏

 安保室に関してはそれまでも他部署との関係で問題があるという話が出ており、内部でも情報共有が円滑にできていないと指摘されていた。公演の件についても儀典秘書官と外交秘書官、金室長の間では情報共有されたが、金第1次長には伝わっていなかったという。

 その後、明らかになってきたのは金室長と金第1次長の確執説である。

 韓国では学界から政府の要職に登用されることが多く、室長と第1次長も共に学者出身だ。

 第1次長は2008年に李明博(イ・ミョンバク)政権の青瓦台(大統領府)で対外戦略秘書官に抜てきされ、対北政策や対日政策の立案に大きな役割を果たした。米韓同盟と日米韓連携を重視する保守派の伝統的なスタイルだが、日本との軍事情報包括保護協定(GSOMIA)締結をめぐってつまずいた。水面下で交渉を進め、すべて整ってから閣議にかけて承認を取り付けた手法が世論の強い反発を招いたのだ。結局、2012年6月の署名式当日にキャンセルを日本に通告するという前代未聞の事態となり、引責辞任に追い込まれた。

 金室長は2012年2月に外交通商省(現外務省)第2次官に指名された。地球環境問題を含む多国間外交を統括する要職ではあるが、日米中などを相手にした二国間外交を担当する第1次官に比べると地味である点は否めない。韓国での人間関係には年齢も重視されるが、青瓦台の中枢にいた1967年生まれの金第1次長は7歳年長の金室長に対して敬意を欠く態度を取ることがあったようだ。

徴用工問題「解決案」の糸を引いた金第1次長の剛腕ぶり

 ところが、現政権になって序列が逆転した。金室長は尹大統領と昔からの知己であり、大統領選中から外交ブレーンを務めていた。政権発足後に室長と第1次長となった2人の金氏の関係は当初からしっくりいかず、安保室内で情報の目詰まりを起こしていたという。

 そうした状況を受けて、尹大統領が金第1次長の側に軍配を上げたというのが、政界関係者の見立てである。李明博政権の青瓦台で金第1次長と席を並べ、「金泰孝ライン」と言われている外務官僚が外交秘書官の後任となったことも、こうした見立てを裏付ける。

 大統領訪米の1カ月前という異例のタイミングについては、5月のG7など今後も重要な外交日程が続くので、「どうせなら早い方がいい」という判断になったとみられている。

 政界関係者によると、韓国政府が責任を持って徴用工問題を解決する方針を示し、日本との安保協力を強化しなければならないという尹大統領の考えは、金第1次長と一致している。外務省や金室長が「もう少し日本と交渉した方がいい」と主張したにもかかわらず、尹大統領が解決策の早期発表に踏み切った背景にも金第1次長の影響があったという指摘がある。

 日本との関係改善や日米韓の安保協力強化といった金第1次長の路線は、日本にとって歓迎されるものだ。ただGSOMIAを巡る騒動に象徴されるように、金第1次長の剛腕ぶりには反発も強い。更迭劇を巡るゴタゴタをうまく収拾し、安定した外交を進めていけるかが問われることになりそうだ。

澤田克己(さわだ・かつみ)

毎日新聞論説委員。1967年埼玉県生まれ。慶應義塾大学法学部卒業。在学中、延世大学(ソウル)で韓国語を学ぶ。1991年毎日新聞社入社。政治部などを経てソウル特派員を計8年半、ジュネーブ特派員を4年務める。著書に『反日韓国という幻想』(毎日新聞出版)、『韓国「反日」の真相』(文春新書、アジア・太平洋賞特別賞)など多数

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