国際・政治

金与正氏が「大韓民国」と表現 北朝鮮は「二つのコリア」路線になったのか 澤田克己

金正恩総書記の妹・金与正氏(ベトナムのハノイを訪問)=2019年3月2日 Bloomberg
金正恩総書記の妹・金与正氏(ベトナムのハノイを訪問)=2019年3月2日 Bloomberg

 北朝鮮が「大韓民国」という言葉を使ったことが、韓国で波紋を引き起こしている。北朝鮮は韓国のことを「南朝鮮」と呼んできたのに、金正恩(キム・ジョンウン)総書記の妹である金与正(キム・ヨジョン)氏が談話で「大韓民国」を使ったのだ。相手の立場を尊重して正式国名を使った、とは考えにくい。となると、自分たちは韓国とは違う国だという立場を示したのではないか、つまり統一ではなく「二つのコリア」路線なのではないかとも考えられる。韓国としては気になるところである。

 金与正氏は7月10日と11日に米軍偵察機の活動を非難する談話を発表した。その中で「『大韓民国』の合同参謀本部が米国防総省や米インド太平洋軍司令部の報道官であるかのように振る舞っている」などと表現した。

文在寅政権時は対話重視だった(板門店で会談を行った韓国の文在寅大統領と北朝鮮の金正恩総書記)=2018年4月27日 Bloomberg
文在寅政権時は対話重視だった(板門店で会談を行った韓国の文在寅大統領と北朝鮮の金正恩総書記)=2018年4月27日 Bloomberg

 韓国と北朝鮮は法的に互いの存在を認めておらず、韓国は北朝鮮を「北韓」、北朝鮮は韓国を「南朝鮮」と呼んできた。首脳会談の合意文などでは互いの正式国名を使うし、北朝鮮メディアも第三者の発言を引用する時などに「大韓民国」を使うことはある。ただ、北朝鮮が公式の声明や談話で「大韓民国」を使ったのは初めてだという。

 韓国メディアは「南北関係を国家対国家、それも敵対的関係だと見ていく意図を明らかにした」(東亜日報社説)とか、「現在の分断状態を恒久化し、どのような統一の議論も拒否するという意味だ。金氏王朝の永続化という意味でもありうる」(朝鮮日報社説)などと解釈している。

韓国の「南南葛藤」をあおる?

 韓国統一省の公式の立場は「北韓の意図や今後の姿勢を注視していく」というものだ。同省関係者は、「統一問題に関する北韓の姿勢は今までにも大きくぶれてきた。今後も南北対話が必要だという局面がくれば、何事もなかったかのように今までと同じ路線に戻るだろう」と語る。

 この関係者は、談話の大きな目的を韓国への揺さぶりだと見ている。「保守派の尹錫悦(ユン・ソンニョル)政権が北朝鮮に敵対的な態度ばかり取るから、北が逆ギレした」という反応を南北対話に前向きな進歩派から引き出し、韓国内の理念対立をあおろうとしたのではないかという見立てだ。

訪米した韓国の尹錫悦大統領(左)=2023年4月27日 Bloomberg
訪米した韓国の尹錫悦大統領(左)=2023年4月27日 Bloomberg

 韓国では、北朝鮮に厳しい姿勢を取る保守派と対話重視の進歩派が激しく対立する。こうした対立は南北対話を進めた金大中政権下で表面化し、「南南葛藤」と呼ばれる。南北より韓国内部の意見対立の方が深刻になっている様子をうまく表現している。

 文在寅(ムン・ジェイン)政権で国家情報院長を務めた朴智元(パク・チウォン)氏が韓国メディアに語った言葉は、南南葛藤の典型だろう。今回の談話について「大韓民国というのは、かつて非常に好意的な用語として使われたが、今ではとても好戦的なものになっている。尹錫悦政権がなにか、完全に戦争でもやってやろうかという態度を取っているからだ」と、尹政権を批判したのである。

「民族」より「国家」

 ただし、単なる揺さぶりとも言い切れない。慶応大の礒﨑敦仁教授(北朝鮮政治)は「統一至上主義ではなく、実態として二つの国家が存在しているという認識を金正恩政権が強めていることは確かだ。文在寅大統領との首脳会談を重ねた2018年以降、金正恩氏の演説でも統一への言及は激減した。そもそも南北首脳会談は、二つの体制の平和共存を目指したものだった」と指摘する。

 金正恩政権のこうした姿勢への指摘は、韓国でも出ていた。北朝鮮専門家である慶南大の金根植(キム・グンシク)教授は2015年8月に韓国紙・毎日経済新聞に寄せたコラムで「金正恩体制の北韓は、南北がそれぞれで生きていこうという、いわば『二つのコリア』戦略に旋回したようだ」と書いていた。「核保有で安全保障を図り、恐怖政治でエリートを掌握し、市場拡大で経済を回復させた。もはや体制の危機ではなく、体制維持に自信を持つようになった」という見立てだった。

 前出の統一省関係者も、こうした見方に同意する。金正恩政権は当初、「わが民族第一主義」というスローガンを使ったものの、17年ごろから「わが国家第一主義」へとシフトし始めた。「民族」ではなく、「国家」を前面に出し始めたということだ。さらに21年1月の朝鮮労働党大会での党規約改正では、韓国で革命を起こさせて統一するという記述が削除されたという。

 韓国メディアによると、この党大会では対南政策担当の党書記も選出されなかった。北朝鮮で韓国との対話などを担当してきた組織である「祖国平和統一委員会」の活動も党大会以降、確認されていない。祖国平和統一委員会は廃止されたのではないかともみられている。

 金与正氏の談話は国外向けのもので、北朝鮮国内では報道されなかったし、金正恩氏は「南朝鮮」という言葉を使っている。北朝鮮の真意を見極めるには時間がかかるだろうが、背景としての「二つのコリア」志向は確実な流れとして存在しているようだ。

澤田克己(さわだ・かつみ)

毎日新聞論説委員。1967年埼玉県生まれ。慶應義塾大学法学部卒業。在学中、延世大学(ソウル)で韓国語を学ぶ。1991年毎日新聞社入社。政治部などを経てソウル特派員を計8年半、ジュネーブ特派員を4年務める。著書に『反日韓国という幻想』(毎日新聞出版)、『韓国「反日」の真相』(文春新書、アジア・太平洋賞特別賞)など多数。

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