国際・政治

処理水放出、韓国の影響は? ソウル飲食店と水産市場の実態を見た 澤田克己

ソウル都心で開かれた海洋放出反対集会(2023年9月2日)=澤田克己撮影
ソウル都心で開かれた海洋放出反対集会(2023年9月2日)=澤田克己撮影

 8月末から9月初めにかけてソウルを訪れた。会議出席を目的とする短期間の訪問だったが、自分の目で見ておきたいと思っていたものもあった。福島第一原発から出た処理水の海洋放出への反発の大きさと、水産物の消費に与えている影響だ。特に消費への影響は、韓国メディアの報道を見ていても判断しかねたからだ。突っ込んで取材する時間的余裕はなかったし、数カ月後に統計データが出そろうまでは印象論にしかならないのだが、現地で見たものを報告したい。

放出反対集会は思ったより人数少なく

 海洋放出が始まってから1週間あまりとなった9月初めの週末。2日の土曜日にはソウル都心で放出反対の集会が開かれ、野党・共に民主党の李在明(イ・ジェミョン)代表もマイクを握っていた。ただ集まっていたのは、多めに見積もっても4000人程度に見えた。代表を登壇させるほど野党が力を入れる集会に期待されるであろう人数からは、少なくとも1ケタ少ない。

 韓国でよく引き合いに出されるのが、李明博(イ・ミョンバク)政権初期の2008年に起きた米国産牛肉輸入に対する抗議運動だ。牛海綿状脳症(BSE)対策での規制を解除した李政権を進歩派メディアが攻撃し、進歩派の野党も加勢して大規模な反政府集会に発展した。この時には数万から数十万人規模の集会が繰り返し開かれた。ソウルでは、12車線の道路が1キロ以上にわたって参加者で埋め尽くされた日もあったという。

処理水放出に対して尹錫悦政権は科学的根拠を信頼するという姿勢(米キャンプデービッドで行われた日中韓首脳会談に出席した韓国の尹大統領)=2023年8月18日 Bloomberg
処理水放出に対して尹錫悦政権は科学的根拠を信頼するという姿勢(米キャンプデービッドで行われた日中韓首脳会談に出席した韓国の尹大統領)=2023年8月18日 Bloomberg

 会議で会った韓国人研究者は「牛肉騒動の時は、問題ないと考えていた科学者も沈黙せざるをえない雰囲気だった。でも今回はかなり違う。海洋放出に問題はないとテレビで話す科学者も多い」と話す。日本をよく知る韓国外務省幹部は「BSEの時も空騒ぎに終わった。その学習効果はあるのだろう」という見方を示した。

 もちろん海洋放出を歓迎するなどという話は聞かないし、せいぜいが「仕方ない」という受け止めだ。日韓の歴史認識問題が再燃したり、海洋放出で手違いが生じたりしたら空気は一変しかねないと懸念する専門家もいる。ただ現状では落ち着いていると言ってよいのだろう。

刺し身店は満席でも水産市場は閑散

 この日夜には、ソウル市南部の繁華街で刺し身専門店に入った。雑居ビルの地下に入居する6卓ほどの小さな店だったが、土曜日の夜だったこともあってか満席になった。昼間に通りかかったすし屋も、それなりに客がいるように見えた。放出反対の集会参加者が少ないのを確認していたこともあり、この時は「意外に落ち着いているな」という印象を受けた。

ソウル・ノリャンジン水産市場2階の食堂街では昼時にもガラガラの店が目立った(2023年9月3日)=澤田克己撮影
ソウル・ノリャンジン水産市場2階の食堂街では昼時にもガラガラの店が目立った(2023年9月3日)=澤田克己撮影

 ただ翌日昼過ぎにソウルのノリャンジン水産市場を訪れると、印象は変わった。東京・築地の場外市場に近いイメージで一般向けの小売りをしているのだが、日曜日の昼過ぎにしては客が明らかに少ない。

 この市場は大きなビルの1階を中心に間口の狭い鮮魚店が無数に入居しており、そこで買った魚介類を2階などにある食堂に持ち込んで料理してもらうこともできる。1階にはある程度の客がいたものの、2階の食堂街に向かうと客が1組か2組しか入っていない店がいくつもあった。知人2人と訪れた私は1階の店で貝やエビを買ったが、対応してくれた店員は「放出の話が出てから客足は落ちたままだ。以前の半分にもならない」とぼやいていた。

鮮魚価格は落ち着いているが養殖業者には被害も

 聯合ニュースによると、韓国政府は9月4日、水産物消費の目に見える落ち込みは起きていないという見解を示した。大手スーパー3社の売り上げを見たというのだが、放流直前と直後の比較だったり、放流した日を含む2日間と「前年同期」の比較だったりというものだった。放流は突然実施されたわけではないので、実施直前と直後の比較に意味があるとは思えないし、2日間だけを取り上げて「前年同期」と比較するのも無理があると言わざるをえない。

 尹政権は科学的根拠を信頼するという姿勢を取り、海洋放出に異議を唱えていない。野党はそれを「国民の不安を無視して、日本の言いなりになっている」と攻撃しているので、無理にでも反論しようとしているのかもしれない。

 進歩派であるハンギョレ新聞のベテラン記者に「実際には、どれくらい影響が出るものだろうか」と疑問をぶつけてみた。返ってきたのは「水産物消費が落ち込むのは確実だろうが、半減というようなことにはならないのではないか」という答えだった。

 聯合ニュースは8月31日、各地の鮮魚市場での卸価格は恐れられていたほど下落してはいないものの、養殖業者などには大きな被害が出ていると報じた。この記事は、刺し身をメインとする料理店などへの影響は、地域によってかなり違いがあるようだとも伝えていた。結局、韓国の現状を伝えるものとしては、この記事のトーンがもっとも妥当なように思える。長期的な影響は、これから注視していくしかなさそうである。

澤田克己(さわだ・かつみ)

毎日新聞論説委員。1967年埼玉県生まれ。慶應義塾大学法学部卒業。在学中、延世大学(ソウル)で韓国語を学ぶ。1991年毎日新聞社入社。政治部などを経てソウル特派員を計8年半、ジュネーブ特派員を4年務める。著書に『反日韓国という幻想』(毎日新聞出版)、『韓国「反日」の真相』(文春新書、アジア・太平洋賞特別賞)など多数。

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