国際・政治

金正恩氏・プーチン氏会談 改めて振り返る北朝鮮・ロシア関係史 澤田克己

北朝鮮の金正恩朝鮮労働党総書記(左)とロシアのプーチン大統領=大前仁、前谷宏撮影
北朝鮮の金正恩朝鮮労働党総書記(左)とロシアのプーチン大統領=大前仁、前谷宏撮影

 北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党総書記が9月13日、ロシアのプーチン大統領とロシア極東アムール州のボストーチヌイ宇宙基地で会談した。改めて注目される北朝鮮とロシアの関係とはどんなものだったのか、歴史的な部分から振り返ってみたい。

 そもそも北朝鮮は、ソ連の後押しを受けて成立した国家である。日本の敗戦で植民地支配から解放された朝鮮半島では、北緯38度線の北側をソ連、南側を米国が占領した。東西冷戦が始まる中で、1948年にそれぞれ朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)、大韓民国(韓国)として独立した。

 金総書記の祖父である金日成(キム・イルソン)は満州(現在の中国東北部)で抗日パルチザン活動をした後、ソ連に逃れ、ソ連極東方面軍傘下にある部隊の大隊長となった。解放翌月となる1945年9月に平壌へ戻り、1948年の建国時に最高指導者である首相に就任した。まだ36歳という若さだった。ちなみに、1942年生まれの長男、金正日(キム・ジョンイル)はソ連ハバロフスク周辺で生まれた。

 武力統一を図った金日成は1950年、ソ連と中国から了解を取り付けた上で韓国に攻め込んで朝鮮戦争を引き起こした。米軍を中心とする国連軍が韓国側に立って参戦したことで計算が狂い、北朝鮮軍は北西部の中国との国境近くまで追い込まれた。これに危機意識を強めた中国は人民志願軍という形で参戦し、北朝鮮とともに戦った。冷戦末期になってソ連の情報統制が緩み、実はソ連も秘密裏に空軍を派遣していたことが明らかになった。

中国とソ連をてんびんにかける

 冷戦期の北朝鮮は、社会主義圏の盟主の座を争った中国とソ連をてんびんにかける駆け引きを得意としていた。典型的なのが、両国とそれぞれ安全保障に関する条約を結んだ時の金日成の動きだ。韓国で朴正熙(パク・チョンヒ)が1961年5月に軍事クーデターを起こして反共を旗印とする軍事政権が誕生したことを受け、金日成は中ソとの事実上の軍事同盟締結を急いだ。

北朝鮮のミサイル発射通告について記者団の取材に応じる岸田文雄首相=首相官邸で2023年8月22日、竹内幹撮影
北朝鮮のミサイル発射通告について記者団の取材に応じる岸田文雄首相=首相官邸で2023年8月22日、竹内幹撮影

 金日成はまず6月29日から7月10日までソ連を訪問して「ソ朝友好協力相互援助条約(ソ朝条約)」を締結した。そして、その足で今度は中国を10日から15日に訪問して「中朝友好協力相互援助条約(中朝条約)」を結んだのである。

 本命である中国との条約交渉で有利になることを狙って、ソ朝条約を先行させたと考えられている。実際に条約の内容は、中朝条約の方が北朝鮮に有利なものとなった。北朝鮮が第3国から攻撃された場合に軍事支援するという自動介入条項は両方に入ったが、中朝条約の方が積極的な軍事介入を約束していた。条約の期限もソ朝条約が当初10年で、5年ごとに延長となっていたのに比べ、中朝両国には期限が定められなかった。

ロシアは北朝鮮との関係に慎重だった

 ソ連崩壊後に条約を引き継いだロシアは条約を延長せず、1996年に失効させた。2000年に露朝友好善隣協力条約という新しい条約を北朝鮮と結んだものの、自動介入条項は入らず、軍事同盟という色合いはなくなった。国力を大きく落としたロシアはもはや、朝鮮半島情勢におけるメインプレーヤーではなくなってもいた。

 この時期に出てくる話は、ソ連崩壊で失業したミサイル技術者を北朝鮮が雇ったとか、極東地域での木材伐採や建設現場に労働者を派遣して北朝鮮が外貨稼ぎをしているというようなものが多かった。

北朝鮮のミサイル発射を伝える大型ビジョン=東京都千代田区で2022年10月4日、内藤絵美撮影
北朝鮮のミサイル発射を伝える大型ビジョン=東京都千代田区で2022年10月4日、内藤絵美撮影

 ロシアは2014年のクリミア併合を機に欧米との関係を悪化させたが、それでも北朝鮮との距離感は残っていた。北朝鮮が16、17年に核・ミサイル開発を加速させた時期には、北朝鮮の外貨収入源を直撃する国連安全保障理事会の制裁決議案にも賛成した。

 この時には中国も制裁に同意したが、中国はその後、北朝鮮寄りの姿勢に転じる。それでもロシアは、北朝鮮との接近に慎重な姿勢を見せた。プーチン大統領は19年4月にウラジオストクで金総書記と会談したものの、会談が終わるとすぐに金総書記を残したまま北京での国際会議に向かってしまった。会談では、同年2月の米朝首脳会談決裂の責任は米国にあるという立場で一致してみせたものの、北朝鮮との関係を重視していないことは明らかだった。

ウクライナ侵攻で状況一変

 状況を大きく変えたのが、22年2月のロシアによるウクライナ侵攻だ。北朝鮮外務省報道官は侵攻開始から4日後に、「米国と西側の覇権主義政策」が問題を引き起こしたと主張した。

 北朝鮮は国連総会でも明確にロシア支持の姿勢を取った。3月に国連総会で採択された侵略を非難する決議と、ウクライナにおける人道状況改善を訴える決議の2本で、北朝鮮はいずれも反対に回った。どちらの決議でも、反対はロシア、北朝鮮、ベラルーシ、シリア、エリトリアの5カ国だけだった。北朝鮮はその後の国連総会決議でも、ロシア側に立つ投票行動を続けた。

 7月には、ウクライナ東部の親露派支配地域である「ドネツク人民共和国」「ルガンスク人民共和国」を国家として承認した。占領したウクライナ東部4州の併合をプーチン大統領が9月に宣言すると、北朝鮮はすぐに併合支持を表明した。さらに23年1月に米国がウクライナへの主力戦車供与を決めると、金総書記の妹の金与正(キム・ヨジョン)党副部長が「戦況をエスカレートさせている」と非難した。

 見返りは、国連安保理での拒否権行使という形となった。北朝鮮は22年3月に新型の大陸間弾道ミサイル(ICBM)「火星17型」を発射したものの、米国が安保理に提案した制裁強化決議案は5月に中国とロシアによる拒否権行使で否決された。北朝鮮関連での拒否権行使は初めてだった。中露は今年3月の首脳会談でも、共同声明で「北朝鮮の正当かつ合理的な懸念に行動で対応する」ことを米国に要求した。

 北朝鮮が「戦勝記念日」と位置づける朝鮮戦争休戦協定の締結70周年の式典には、ショイグ露国防相が出席した。金総書記はこの時、国産兵器の展示会を案内している。北朝鮮の兵器体系は旧ソ連と同じなので、ソ連にとっては取引しやすい相手だ。それだけに砲弾などの対露輸出交渉が進んでいるのではないかと取り沙汰された。

 ショイグ国防相が平壌での軍事パレードで代読したプーチン大統領の祝賀演説は、ソ連の軍人が朝鮮戦争で「数万回の戦闘飛行を遂行した」と指摘していた。ソ連およびロシアの当局が公然と認めたのは初めてで、北朝鮮との軍事的な関係をそれだけ重視するようになったことを示していた。

澤田克己(さわだ・かつみ)

毎日新聞論説委員。1967年埼玉県生まれ。慶應義塾大学法学部卒業。在学中、延世大学(ソウル)で韓国語を学ぶ。1991年毎日新聞社入社。政治部などを経てソウル特派員を計8年半、ジュネーブ特派員を4年務める。著書に『反日韓国という幻想』(毎日新聞出版)、『韓国「反日」の真相』(文春新書、アジア・太平洋賞特別賞)など多数。

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