国際・政治 南北関係
北朝鮮は「二つのコリア」定着を狙う? アジア大会サッカー南北対決後の記者会見で起きた驚き 澤田克己
アジア大会の男子サッカー準々決勝で日本と対戦した北朝鮮選手は、ラフプレーとマナーの悪さが際立った。今回の大会では、日本と韓国を相手にした時に北朝鮮選手の敵対的な態度が目立つそうだ。試合後に握手を求めた韓国選手を無視する場面もあった。
韓国では、これまで南北接触などで使われてきた「北側」という表現に北朝鮮側が拒否反応を見せたと話題になった。正式国名を使うよう韓国の記者に要求したのだが、これは最近の北朝鮮が「二つのコリア」路線とでも呼べる姿勢を見せていることと関連していそうだ。
「北側」ではなく国名で呼べ
話題となったのは、9月30日にあった女子サッカーの南北対決で北朝鮮が韓国を下した後の記者会見での発言だ。韓国メディアによると、質問した韓国人記者が北朝鮮のことを「北側」と口にしたところ、北朝鮮の監督が「『北側』ではなく朝鮮民主主義人民共和国だ。『朝鮮』チームと呼んでもらいたい」と反発したという。
「北側」というのは南北対話の場などで使われてきた用語であり、韓国で一般的な「北韓」という表現に比べると中立的だと考えられている。質問した記者は失礼にならないようにと「北側」を使ったはずで、それだけに韓国社会には驚きが広がった。
韓国と北朝鮮は相手を国家として認めておらず、互いを「北韓」「南朝鮮」と呼んできた。それが、1991年に締結した南北基本合意書で「双方の関係は国と国の関係ではなく、統一を目指す過程で暫定的に形成された特殊な関係」だと規定。2000年の南北首脳会談以降には、「北側」「南側」という呼び方が定着した。
「統一」より「現状維持」で生き残り
「北側」ではなく正式国名を使えと求めたのは、近年の金正恩政権の姿勢に関連していると考えられる。統一よりも事実上の現状維持によって体制の生き残りを図ろうとする「二つのコリア」路線がうかがえるからだ。慶応大の礒﨑敦仁教授(北朝鮮政治)は「北朝鮮主導の統一はもはや難しいという現実的認識がベースにあるのだろう」と話す。
礒﨑教授によると、2011年末に権力を継承した金正恩氏は当初、「朝鮮民族第1主義」というスローガンを多用した。ところが、17年11月の労働新聞に「わが国家第1主義」という言葉が登場する。
金正恩氏の演説でも18年以降、「統一」への言及が激減したという。19年1月1日の新年演説では「朝鮮民族第1主義」が「わが国家第1主義」へと完全に置き換わった。重視される対象が「民族」から「国家」へ変化したということだ。
金正恩氏はさらに21年1月の朝鮮労働党第8回大会で「自尊と繁栄の新しい時代」の幕開けを宣言し、これを「わが国家第1時代」だと規定した。この時の党人事では、かつて重要ポストとされていた対南政策の担当書記も空席となった。
金与正氏は韓国を「大韓民国」
こうした流れは最近、さらに強まっている。礒﨑教授は「アジア大会のテレビ中継では韓国を『南朝鮮』とすら表記せず、『傀儡』とした。もはや南側の『朝鮮』とも認めないという強硬な姿勢に見える」と指摘する。
23年7月には韓国人の訪朝不許可を北朝鮮外務省が発表して、韓国側を驚かせた。これまで韓国との人的往来の管理は、「外国」を相手にする外務省の管轄ではなかったからだ。これまでなら、韓国向けの窓口機関である党統一戦線部や祖国平和統一委員会が発表したはずだった。
金正恩氏の妹である金与正氏が同月に出した談話では、韓国のことを「大韓民国」と呼んだ。韓国の正式国名を使って非難談話を出すなど前代未聞だった。さらに金正恩氏自身も8月に演説で「大韓民国」という言葉を使い、呼称変更が明確な意思に基づくものであることを示した。
北朝鮮の姿勢変化は、単に韓国の現政権が対決姿勢を取っているからというようなものとは考えづらい。今後の推移を見る必要はあるが、「二つのコリア」路線がより明確になっていく可能性がありそうだ。
澤田克己(さわだ・かつみ)
毎日新聞論説委員。1967年埼玉県生まれ。慶應義塾大学法学部卒業。在学中、延世大学(ソウル)で韓国語を学ぶ。1991年毎日新聞社入社。政治部などを経てソウル特派員を計8年半、ジュネーブ特派員を4年務める。著書に『反日韓国という幻想』(毎日新聞出版)、『韓国「反日」の真相』(文春新書、アジア・太平洋賞特別賞)など多数。