国際・政治 日韓関係
日韓関係を悪化させかねない「LINEヤフー問題」韓国の見方 澤田克己
尹錫悦(ユン・ソンニョル)政権下で一気に改善が進んできた日韓関係に暗雲が垂れ込めている。LINEヤフーへの韓国IT大手ネイバーからの出資比率引き下げを求める日本政府による行政指導への反発が韓国で広がっているのだ。当初は静観姿勢だった尹政権もここにきて、「不当な措置には断固たる対応をする」と表明することになった。事態の展開によっては日韓関係の管理が難しいモードになりそうだ。
政府が口を出すのは無理がある
LINEヤフーに64.4%を出資する中間持ち株会社のAホールディングスは、ソフトバンクとネイバーが50%ずつ出資する。総務省は3月5日、情報漏洩が相次いでいるLINEヤフーへの行政指導の際、ソフトバンクにLINEヤフーへの資本的な関与強化を検討するよう口頭で求めた。
政府が民間企業に資本比率の見直しを要求することには、日本の経済専門家からも疑問の声が多い。
政府系研究機関に所属する経済専門家は「正直に言えば、政府が資本関係に口を出すのはいかがなものかと思う」と疑念を口にする。法的根拠がないから行政指導、しかも文書に残らない口頭というグレーな形を取ったのだろうという見方だ。この専門家は、LINEのコーポレートガバナンスの問題解消が必要だという総務省の判断には理解を示しながらも、より慎重な対応をすべきだと指摘した。
経済企画庁出身の高安雄一大東文化大教授も、資本関係の見直しという行政指導について「かなり踏み込んだものだ。うがった見方をすれば、この機に乗じて日本企業がLINEヤフーの支配権を得ようとしていると取られてもおかしくない。韓国世論の反発は理解できる」と話す。
保守系「朝鮮日報」の報道で火がつく
韓国世論に火をつけたのは、保守系大手紙「朝鮮日報」が4月25日付朝刊1面で「敵対国に対するように… 日本、韓国IT企業に『持ち分を売って出て行け』」と大きく報じたことだ。同紙は26日付の社説で「日本政府が韓国を代表する企業に経営権の売却を強要するのは、事実上、韓国が敵性国であると宣言するようなものだ。韓国国民はそう受け止めざるをえない」と批判した。
ネイバーは韓国のポータル市場で絶対的な地位を持ち、韓国発の縦読みマンガ「ウェブトゥーン」に代表されるコンテンツ市場では欧米やアジア各国でも事業展開する世界的な大手だ。米国の巨大IT企業にも負けない強い企業として、韓国人のプライドをくすぐる存在となっている。それだけに韓国世論は強く刺激された。
韓国政府関係者は「朝鮮日報が口火を切ったことも大きかった。ハンギョレや京郷新聞が書いたのだったら、ここまで盛り上がらなかったのではないか」とこぼす。今までも政権批判を展開してきた進歩派のハンギョレ、京郷両紙ではなく、尹政権の対日外交を肯定的に評価してきた保守派の朝鮮日報が批判の急先鋒に立っていることへの困惑があるようだ。
与党からも相次いで批判
与党「国民の力」からも、わざわざ記者会見を開いて「韓国政府がこれ以上、手をこまねいていてはならない」と主張する国会議員が出てきた。尹大統領と距離を置く与党重鎮も「大統領と外務省が日本政府に強く抗議し、韓国企業の海外投資を保護しなければならない」とフェイスブックに投稿した。
対日関係の改善を高く評価する保守層にもこの間、日本に対する不満が貯まっていたことが背景にある。懸案だった徴用工問題の解決策を打ち出すリーダーシップを見せた尹政権に対し、日本側の「呼応」がないと受け止められているからだ。
象徴的なのが、日韓関係改善の流れを受けて経団連が韓国側と設置した「日韓・韓日未来パートナーシップ基金」だ。未来世代の交流を後押しするなどとうたったものの、資金集めは進んでいない。事情を知る日本の専門家から「経団連はやる気がないから」と言われる始末である。
韓国内に根強い反発がある「佐渡島の金山」の世界遺産への登録でも不協和音があった。韓国政府が昨年秋、タイミングを少し遅らせてほしいと水面下で要請したものの、日本政府は拒否した。この時は、尹政権内部からも強い不満が聞かれた。
野党は「松本剛明総務相は伊藤博文の子孫」まで持ち出し
4月の総選挙で大勝し、政権との対決姿勢を強める進歩派野党にとっては願ってもない好材料だ。
最大野党・共に民主党の李在明(イ・ジェミョン)代表は、松本剛明総務相が伊藤博文の子孫であることとLINEヤフー問題を関連付けてフェイスブックに投稿した。伊藤博文は、松本氏の母方の祖母の祖父に当たる。初代韓国統監である伊藤博文を持ち出すことで歴史問題と結びつけ、韓国内のナショナリズムをあおろうとしたのだ。
5月13日に「屈辱外交」を非難して竹島(韓国名・独島)に上陸した祖国革新党の曺国(チョ・グク)代表も、松本氏と伊藤博文の血縁関係に言及して、LINEヤフー問題と植民地支配の歴史を結びつける主張を展開した。
前述の韓国政府関係者は「さすがに伊藤博文うんぬんというのは、世論に全く響いていない」と話す。今の韓国で、松本氏と伊藤博文を結びつける稚拙な主張が共感を得られるとは私も思わない。「響いていない」と聞いても、「そうだろうね」という感想を抱く程度だ。
若者は「不公正」に怒りを感じる
ただ5月上旬に来日した民主党の中堅議員から聞いたポイントは聞き捨てならないものだった。韓国の若年層の間で対中感情が極めて悪い背景には「中国が不当なことを韓国にしている。公正でない」という感情があり、それは今回のLINEヤフー問題への反発に通じるというのだ。
対中感情の悪化は、在韓米軍へのミサイル配備への報復として中国が2017年に事実上の経済制裁を韓国にかけたことに起因する。対中感情は全般的に悪化したが、中でも若年層の対中世論は極端に悪くなった。その背景には、韓国を下に見る中国の「不公正」な態度への怒りがあるということだ。
極端な競争にさらされ続けている韓国の若者にとって「公正」というのは、とても重要なキーワードだ。「不公正」な方法でネイバーが不利益を被ったとなれば、それに対する反発は爆発的なものとなりかねない。今になって振り返ると、2019年に起きた日本製品不買運動も、安倍晋三政権による対韓輸出規制の「不公正さ」への若年層の反発が原動力になったと思えるのである。
尹大統領はLINEヤフー問題を日韓関係の「懸案」
尹大統領の意向を代弁する大統領室政策室長は5月13日、韓国企業による海外投資を最大限支援すると表明した。ネイバーによるセキュリティー対策強化にも政府として必要な支援をするし、「韓国企業の意思に少しでも反する不当な措置に対しては断固として強く対応していく」と強調した。
その上で「反日を助長する政治フレームが国益を損ない、韓国企業を保護するのに助けとならないのは明らかだ」と、野党の動きにくぎを刺した。
尹大統領は5月9日の記者会見で日韓関係について「いくつかの懸案や歴史が障害物になりうるが、確固たる目標へ向け、忍耐するものは忍耐しながら、進むべき方向へ歩を進める」と述べている。「懸案」はLINEヤフー問題を念頭に置いたものだったのだろう。
今回の問題があっても、尹氏の対日政策の基調が変わると考えている人はほとんどいない。ただ前述のように「公正さ」に敏感な反応を見せる韓国の若年層を刺激する事態になるならば、かなり難しい局面に陥る可能性は否定できないように思えるのである。
澤田克己(さわだ・かつみ)
毎日新聞論説委員。1967年埼玉県生まれ。慶應義塾大学法学部卒業。在学中、延世大学(ソウル)で韓国語を学ぶ。1991年毎日新聞社入社。政治部などを経てソウル特派員を計8年半、ジュネーブ特派員を4年務める。著書に『反日韓国という幻想』(毎日新聞出版)、『韓国「反日」の真相』(文春新書、アジア・太平洋賞特別賞)など多数。