なぜ臓器売買をしてはいけないのか 哲学者はこう考える=小川仁志(哲学者)
Q クローン技術などで臓器が再生され、売買の対象にならないですか
A お金で買えるものの限界を測るモノサシで、市場の道徳的限界を明らかにしよう
なんでもお金で買える時代ですが、医療技術の進歩で、身体の一部を売り始める人が出てくるのではないかと心配です。私は難病の人のため将来、臓器提供を考えていますが、悪用されないかと不安です。(薬剤師・45歳男性)
たしかに何でもお金で買える時代です。現に世界には、消える入れ墨で描いた広告を額に載せたり、血液を売るようなことが行われています。今後、医療がさらに進歩することで、再生できる身体の一部が売買の対象になる日が来ないとは言い切れません。
こうした行為は、本人の自由かつ違法ではないとしても、倫理や感情の面から抵抗を感じてしまいます。でも、それはいったいなぜなのでしょうか? そんな疑問にずばり答えてくれているのが、マイケル・サンデル教授です。日本ではNHKのテレビ番組「ハーバード白熱教室」でブームを巻き起こした哲学者として知られています。実は、私も直接教えを請うたことがあります。
公正と腐敗
サンデル教授は、著書『それをお金で買いますか』の中で、お金で買えるものの限界を示すことによって、市場原理主義に疑問を投げかけています。まさに血液を売る行為についても論じているのですが、そうした行為は「公正」と「腐敗」という二つの観点から問題があると言います。
まず、公正の観点とは、市場の選択に反映される不平等に対する疑問です。血液の例で言うならば、貧しい人を食い物にするという点です。実際、アメリカでは現金が欲しいスラムの住人が、血液を売ることが多く、社会問題となっています。
次に、腐敗の観点とは、市場関係によって損なわれたり、消滅したりする規範や姿勢(態度)に対する疑問です。血液を売買することが当たり前になると、そもそも人々の間で他人への思いやり=利他精神が失われてしまうのではないかということです。
こうした公正と腐敗という二つの観点から市場取引を見直すことで、市場の道徳的限界、いわばお金で買うべきではないものの存在が明らかになります。
医療の分野に限らず、今後世の中がどう変わっていったとしても、心の中にこうしたモノサシをきちんと持っていれば、人間はおかしなことをしないはずです。
お悩みの方が不安視している将来の臓器提供のあり方も、本来は議論を尽くしモノサシを獲得した上で、結論を導き出すべき問題なのかもしれません。
(イラスト:いご昭二)
(本誌初出 クローン技術などで臓器が再生され、売買の対象にならないですか/35 2020・6・16)
マイケル・サンデル(1953年~)。アメリカの政治哲学者。コミュニタリアニズムの立場から、共通善に基づく政治を提唱。著書に『公共哲学』など。
【お勧めの本】
マイケル・サンデル著『これからの「正義」の話をしよう』(早川書房)。サンデルの考えがよくわかる一世を風靡(ふうび)した書
読者から小川先生に質問大募集 eメール:eco-mail@mainichi.co.jp
■人物略歴
おがわ・ひとし
1970年京都府生まれ。哲学者・山口大学国際総合科学部教授(公共哲学)。20代後半の4年半のひきこもり生活がきっかけで、哲学を学び克服。この体験から、「疑い、自分の頭で考える」実践的哲学を勧めている。