「一部の天才だけ好待遇」は組織のモチベーションを下げる……日本人が知らない「マタイ効果」「マルコ効果」とは何か?
「学び続ける」意欲の喚起必要
「タレント」とは、才能ある人材を意味する。グローバル企業では従来、一部の幹部候補者だけがタレントに該当する存在だと考えられてきた。これに対し、すべての人をタレントとみなす考え方が生じてきている。この考え方は、新型コロナウイルス禍における人材の新しい価値の方向性につながる。
タレントという言葉は、米コンサルティング大手マッキンゼーが1997年、リポートの中で提唱した「ウォー・フォー・タレント」という概念によって注目されるようになった。これは、有能な人材の獲得こそが企業の競争優位に直結するという意味であった。
そもそもタレントという言葉は、古代ギリシャでは重量の単位を意味し、その後、中世以降のヨーロッパで、個人の天賦の才能という意味に転じていった。そのため欧米では、ミュージシャンやアスリートなど、日本では、芸能人などを意味するようになった。
「マタイ」か「マルコ」か
しかしタレントとは、生まれつきの才能に限定されるものなのであろうか。マッキンゼーのエド・マイケルズらによる著書『ウォー・フォー・タレント』では、新約聖書(マタイ書)の寓話(ぐうわ)が紹介されている。この寓話では、旅に出かける主人が、3人の従僕に貨幣としての「タラント」を預ける。2人の従僕は、それを元手に商売をして、タラントを増やした。
旅から帰ってきた主人は、タラントを増やした従僕を褒めた。もう1人の従僕は、タラントを地中に隠して大事に保管し、それを増やさなかった。主人は、タラントを増やさなかった従僕を責め、罰したのである。ここから、タレントとは、天から才能を与えられる(タラントを与えられる)だけでなく、その与えられた才能を増やす努力をする(タラントを増やす)存在とみなされるようになった。
つまり、タレントとは、天からのギフトとしての才能を有し、同時にそれを伸ばすべく努力する存在でもあるのだ。例えば、映画「スター・ウォーズ」で主人公のルーク・スカイウォーカーにとって、才能としてのフォース(認識能力や身体能力を強化する超常的な能力の源)は、父親であるダース・ベイダーから受け継いだものだが、真にフォースを発揮できるようになったのはマスター・ヨーダのもとで修行を積んでからであった。
こうしたタレントの概念は、客観アプローチと主観アプローチに分けて整理できる(図)。客観アプローチでは、タレントを「才能」という特性として捉え(何がタレントか)、主観アプローチはタレントを「人」として捉えている(誰がタレントか)。客観アプローチでは、タレントを「生まれつきの能力」を有し、「熟達」し、ポジションや組織に「コミットメント」し、特定の環境に「適合」する存在だと考える。
主観アプローチは、一部の者だけをタレントと考える「選別アプローチ」と、組織に属する全ての者をタレントと考える「包摂アプローチ」に分かれる。選別アプローチの対象者は、現時点で成果を発揮している高い顕在能力者(ハイパフォーマー)と、将来高い地位の役職に到達する可能性を有する高い潜在能力者(ハイポテンシャル)の2種類である。
選別アプローチの考え方は「マタイ効果」に基づく。これは米社会学者のマートンが唱えたもので、マタイ書の「持てる者はますます富む」という寓話に基づき、高い地位にある者はますます多くの信用を有し、それによって多くの肯定的な評価や報酬を得る、という現象を意味する。米国を中心に従来の企業経営では、この選別アプローチに基づいて見いだしたタレントを、適切に処遇することが支配的な考え方だった。
他方、包摂アプローチは「マルコ効果」に基づく。新約聖書のマルコ書では「神の国に入るためには、何もかも捨てたほうがよく、後にいる多くの者が先になる」とする。ここから、一部の高い地位の者に資源を集中すると、その他の者の動機づけは低下するが、組織の全員を平等に遇すれば、組織全体の職務満足、生産性、協働する文化が向上するという効果が着目されることになる。
「3R」から「4C」へ
コロナ禍によって、タレントに関する考え方は変化するだろうか。米紙『ニューヨーク・タイムズ』のコラムニスト、トーマス・フリードマン氏が時代の変化を洞察した著書『遅刻してくれて、ありがとう』(日本語版は2018年刊)では、ICT(情報通信技術)、AI(人工知能)の進化による第4次産業革命と地球環境の変化が人類の適応力を超えるまで加速している、と述べられている。
コロナ禍も地球環境の変化の一つと考えれば、フリードマン氏は現在の状況を予言していたことになる。フリードマン氏はまた、加速する環境変化で必要となる学びは、これまでの三つのR(読み、書き、算数)から、四つのC(創造性、協働、コミュニティー、コーディング=プログラムの設計)へ変化すると主張している。
私たちはコロナ禍に対応するために、テレワークやオンライン教育など新しい試みに適応を迫られているわけだが、これらの試みとは多様な人々とICTを駆使して協働することを意味し、まさに4Cが求められる。4Cは、知識偏重で暗記中心という性質のものではないので、いったん学べばそれで終わりではない。したがって、今後のタレントに求められることは「学び続ける」才能だろう。
「学び続ける」タレントを生かすためには、マルコ効果が重要ではないだろうか。コロナ禍で得られた教訓とは、効率や利益だけを重視し、競争に勝ち残り高い報酬を得たとしても、持続的な環境が損なわれてしまえば、生活基盤自体が脅かされてしまうことだった。これからのタレントに求められる価値観とは、利益を優先する考え方ではなく、環境の持続性にも目配りできるバランス感覚だろう。
国民の幸福度が高いとされるデンマークでは、国民的詩人グルントヴィが「王宮もあばら屋も同じように素晴らしく、素朴で楽しく働くことがよい」という詩を残しており、その精神の影響を受けていることが大きいという。王宮を目指す一部の選ばれたタレントだけを重視すると、選ばれなかった人々の「学び続ける」意欲を損なう懸念もある。これからは、王宮もあばら屋も同じく素晴らしいという価値観で、マルコ効果を重視し、すべての人をタレントとみなし、その「学び続ける」意欲を喚起することが求められよう。
(石山恒貴・法政大学大学院教授)
(本誌初出 コロナで変わる人材の考え方=石山恒貴 20200825)
■人物略歴
いしやま・のぶたか
1964年新潟県出身。一橋大学社会学部卒業。産業能率大学大学院経営情報学研究科修士課程修了。法政大学大学院博士課程修了、博士(政策学)。NEC、GE(ゼネラル・エレクトリック)などを経て、現職。