メディアの情報はなぜ必然的に偏ってしまうのか 哲学者はこう考える(小川仁志)
Q SNSの情報、どこまで信用できるのか心配です A 情報には情報量の多寡で伝わり方の違いがある
最近は新聞とテレビに加え、インターネットの情報も見るようになりました。SNS(交流サイト)で流れてくるニュースは新聞よりも早いので、助かっています。ただ、怪しいものもあるので、どこまで信頼していいのかよくわかりません。
(メーカー管理職・60歳)
最近は世代を問わず、インターネットでニュースを見る人が増えています。特にSNSで流れてくる速報ニュースや、目を引くタイトルの情報には飛びつきがちです。しかし、どこまで信頼していいのか、心配はあると思います。フェイク(偽)ニュースやデマ、あるいは偏った意見など玉石混交だからです。
今、私たちは多様化するメディアとどう付き合っていけばいいのか。この問題を考えるには、やはりメディア研究の草分けと言っていい、カナダの思想家マーシャル・マクルーハンを参照すべきでしょう。
彼の最も有名な言葉は、「メディアはメッセージ」というものではないでしょうか。これはメディアの形式自体が内容をゆがめている事実を指摘したものです。つまり、善しあしの話ではなくて、メディアとはそういうものだということです。
ホットとクール
私たちはあたかもメディアが生の事実を伝えているかのように思ってしまっていますが、本当はそうではありません。新聞やテレビ、そしてインターネットなど、メディアごとに同じ内容を伝えていても、伝わり方が異なるのです。
マクルーハンはそれぞれのメディアについて、「ホット」と「クール」という概念を使って分析しています。ホットというのは、情報が多く、受け手の参加の度合いが低いものです。だからうのみにしてしまいがちです。逆にクールのほうは、情報が少なく、受け手の参加の度合いが高いものです。だから、想像を膨らませがちです。
例えば、ラジオはホットだけど、電話はクールだと言います。また映画はホットだけど、テレビはクールだと言うのです。当時インターネットはまだなかったわけですが、テレビもまた情報の多さからいうと、ホットに分類されるように思います。だから、うのみにしてしまいがちなのです。
したがって、それぞれのメディアの特性をよく知ったうえで、出典が明確なもの、発信者の信頼度などを加味しながら複数のメディアからの情報を総合し、ホットでもクールでもない“ちょうどいい加減”の自分なりのメディアを模索し、独自のものを確立してはいかがでしょうか。
(イラスト:いご昭二)
(本誌初出 SNSの情報、どこまで信用できるのか心配です/46
マーシャル・マクルーハン(1911~1980年)。カナダ出身の英文学者、文明批評家。メディア研究で有名。インターネット時代の預言者とも称される。著書に『メディア論』などがある。
【お勧めの本】
服部桂著『マクルーハンはメッセージ』(イースト・プレス)
インターネット時代のマクルーハンの意義について紹介している
読者から小川先生に質問大募集 eメール:eco-mail@mainichi.co.jp
■人物略歴
おがわ・ひとし
1970年京都府生まれ。哲学者・山口大学国際総合科学部教授(公共哲学)。20代後半の4年半のひきこもり生活がきっかけで、哲学を学び克服。この体験から、「疑い、自分の頭で考える」実践的哲学を勧めている。