中国出身の作家、楊逸氏が中国共産党を「悪魔の政府」と呼ぶワケ
中国共産党の一党独裁について、中国出身者はどのように考えているのか。
約50年前の文化大革命で、両親とともに強制的に寒村へ移住させられた経験を持つ、中国出身で作家の楊逸氏に話を聞いた。
(聞き手=神崎修一/桑子かつ代・編集部)
── 文化大革命(1966~76年)では家族で悲惨な体験をしたそうですね。
■私と家族は中国共産党の政治運動に翻弄(ほんろう)されてきました。
両親は中国ハルビン市の教師でした。子どもの目には平和に暮らしていたようにみえました。
しかし1970年1月の春節を控えたある日。突然「田舎に行け」と指示され、車に乗せられました。
いわゆる「下放」(農村への移住運動)です。私が5歳半の時でした。
11歳年上の姉は私たちより1年早く「学生下放」でロシアとの国境に連れていかれました。
── どんな生活を強いられたのですか。
■連れていかれたのは、ハルビン市の北の黒竜江省蘭西県。窓やドアの枠しか残っていない廃屋のような小屋でした。
冷たい風が吹き込んでとにかく寒い。母が饅頭(マントウ)を作るために発酵させておいた小麦粉が、朝にはかちかちに凍ってしまったほどです。
私たちは73年にハルビンに戻りましたが、姉は下放先で76年、事故で亡くなってしまいました。
── 中国共産党に反発することはなかったのですか。
■これまでは迫害されてきたことを深く考えることはありませんでした。
「他の家族はひどい目に遭っていないのに」とは考えず、これが運命だと思っていました。
母親の家系が地主階級だったために、悪い家系だという意識を植え付けられていたからでしょう。
理不尽なコロナ対応
── 中国共産党の一党独裁を強く批判しています。なぜですか。
■今回の新型コロナウイルスの感染拡大でいろいろ考えさせられました。
中国でコロナに感染した疑いがある人の家が外出できないように封鎖されてしまう映像をインターネットを通じて見ました。
十分な食料があるのか、病気の人はいないのかなどは一切関係がありません。この理不尽さに憤りを覚えました。
── 50年前の体験と重なったのでしょうか。
■大きな地震などがあれば、住むところはあるのか、食べ物は十分なのかとまずは考えます。
しかし私たちは暖かい家を取り上げられ、廃屋同然の場所に移されました。
中国政府にとっては、我々が生きるか死ぬかは関係ないのです。このような「悪魔の政府」があっていいのかと思います。
文化大革命が終わり、反省すると言っていた政府は、いまだに同じようなことをやっています。
特権階級が一般の人たちを迫害することが繰り返されているのです。
── なぜ国民は一党独裁を許しているのでしょうか。
■中国共産党がなぜ100年も続いたのかと考えると、国民を洗脳する環境を作ってきたからでしょう。
中国には言論の自由はありません。異なる声が上がれば、すぐ封殺して一つにしてしまうわけです。
そのため「14億人が餓死しないで生きていられるのは共産党のおかげ」だと植え付けられてしまっています。
── 我々は中国とどのように付き合っていくべきですか。
■日本も中国共産党に洗脳されているといえます。
中国からの観光客がいなくなったら、中国からモノを輸入できなくなったら生きていけないと考えている人がいます。
しかし、本当にそうでしょうか。中国に依存し続ければ、結局は中国に一番おいしいところを持っていかれてしまいます。
コロナ禍をきっかけに日中関係のあり方を見直し、中国依存から転換する道を考えるときです。
(本誌初出 INTERVIEW 楊逸(作家) 文化大革命で一家移住 中国共産党は「悪魔の政府」 20210119)
■人物略歴
ヤン・イー
1964年中国ハルビン市生まれ。87年に留学生として来日。お茶の水女子大学文教育学部卒。2008年『時が滲(にじ)む朝』で中国人として初の芥川賞受賞。日本大学芸術学部教授。近著に『わが敵「習近平」』(飛鳥新社)。