広がる「時計は資産」の認識、バブル化で7億円超モデルも=篠田哲生
「高級スポーツ」の人気過熱 広がる「投資対象」の認識=篠田哲生
<めくるめく機械式時計の世界>
機械式高級時計の販売が好調だ。世界中に高級時計を輸出するスイスのメーカーで組織する「スイス時計協会(FH)」の発表によると、2021年1~11月のスイス製時計の輸出金額は、前年同期比33%増の204億スイスフラン(約2兆5700億円)と顕著な回復ぶりを示した。輸出金額のうち87%は機械式である。(機械式時計の世界 特集はこちら)
好調だった19年の1~11月と比べても2・1%増であり、スイス製の高級時計の好調さは、発生から3年目に入った新型コロナウイルス禍において、むしろ拍車が掛かっている。日本への輸出額でも13億1320万スイスフラン(約1700億円)と前年同期比21・1%増であり、国内においても高級時計に対する興味は、相変わらず高い傾向にあることが分かる。
しかしその内情を見ると、好ましいとは言いがたい事象もいくつか聞こえてくる。主としてメーカー希望小売価格で販売する「正規時計店」を悩ませているのが、特定ブランドに人気が集中しすぎていることだ。
具体的には、「パテックフィリップ」「ヴァシュロン・コンスタンタン」「オーデマピゲ」のスイスブランドに、ドイツの「A・ランゲ&ゾーネ」といった歴史と格式を備えた名門ブランドの人気が突出していることが挙げられる。中でも「ラグジュアリースポーツ」というジャンルの時計は、ほぼ店頭に並ぶことがないくらい人気が過熱している。
ラグジュアリースポーツとは、1970年代に誕生した時計ジャンルのこと。繊細な仕上げや薄型ケースを採用したスポーツタイプの時計のことで、スーツにもカジュアルスタイルにも合わせられる汎用(はんよう)性の高さがあり、人気を集めている。平均価格帯は200万~300万円と、普通の収入の人には手が届きにくい水準だが、ファッションに関心が高く、活発な休日を過ごす若い会社経営者たちにとっては、使いやすい時計だったのだろう。
結果として、どのブランドのラグジュアリースポーツウオッチも品薄となり、大量の入荷待ちの注文を抱えている。需要と供給のバランスが崩れた結果、並行輸入品店の価格が高騰してしまい、それがさらなるユーザーの渇望感を刺激している。
落札価格7億円超
希少な高級時計を扱うオークションも花盛りである。例えばオークションハウスの英フィリップスが21年12月にニューヨークで開催したオークションでは、パテックフィリップと米宝飾品大手ティファニーのパートナーシップ締結170年を記念した特別なラグジュアリースポーツウオッチ「ノーチラス」の1本が出品された。この時計の定価は約5万ドル(575万円)だったが、落札価格はなんと650万ドル(7億4750万円)。こういった事実が、「高級時計=資産」というイメージを更に増幅させているのだろう。
国内の正規時計店に実情を聞くと、値が上がりそうな時計を資産として手に入れるという傾向が目立ち始めたのは、3年ほど前だという。年齢の若い新規顧客が目に見えて増え、しかも特定ブランド・特定モデルの「指名買い」が目立つようになった。おそらくこれは、値上がり期待、転売目的であろうと時計店サイドは見ている。
売り手側としては、顧客のえり好みはできないし、こういった“勝ち組ブランド”を扱っていれば、たとえ商品がなくとも来店してくれれば接客チャンスにつながるので、こういった流れは好意的に見ている。しかし、引きの強いブランドを扱っていない時計店への来店客数が激減しているのも事実。ブランドも時計店も、勝ち組・負け組が明確になっているのだ。
本来、高級時計というのは定期的にメンテナンスを行いながら、世代を超えて丁寧に使っていくものである。時計ブランドとしても、本当に欲しいと思っている愛好家の元に時計を届けたいだろう。しかし、高級時計は職人の手作業から生まれるため、増産することは困難であり、需要と供給のアンバランスな状況の改善は難しい。特定モデルへの異常な過熱感と上昇する中古価格はバブル状態ともいえるが、軟着陸のシナリオを描きにくい状況になっている。
中古価格を制御
そんな状況の中で、独自戦略で中古価格のコントロールを行っているのがスイスの超高級ブランド「リシャール・ミル」だ。最初の製品発表は2001年とかなり新しいブランドだが、卓越した技術と先鋭的なメカニズムが評価され、数千万円という価格帯ながら、富裕層を中心に人気を集めている。同社では、高級外車市場で定着している“認定中古”という考え方を取り入れており、スイス本国と連携をとりながら完璧なメンテナンスを行い、保証書を付けて販売している。
これは、中古が流通する「2次マーケット」で必要以上に価格が高騰しないようにコントロールし、ブランド価値を正しく維持することが狙いだ。さらには慈善活動にも力を入れることで、“高価な時計のブランド”というイメージではなく、“美しい理念を持つブランド”であるという理想を伝えている。例えば、リシャール・ミルは、東日本大震災の復興支援のためのオークションなどを行っている。
では数百万円から数千万円という超高級時計以外のブランドは、苦境に立たされているのだろうか。
日本には知的好奇心が旺盛で、メカニズムや仕上げなどにも深い見識を持つ愛好家が多い。彼らが好む「グランドセイコー」や「オメガ」といった歴史と実力を兼ね備えたブランドたちは、2次マーケットにおける価格の高騰といったバブル的な喧騒(けんそう)に巻き込まれることなく、売り上げも安定しているようだ。こういった愛好家は、ブランドのファンとなり、コレクションを2本、3本と増やしていく傾向にあるため、今後も堅調な市場拡大が見込まれる。
「時計は資産」と言われるが、そもそもは長く使っていけることが、変わらぬ価値を持つ資産としての源泉だった。それなのに2次マーケットの取引金額ばかりを見ていては、時計文化や歴史、物語を見落としてしまう。それはとても残念なことである。
(篠田哲生・ライター)