「国が株価を下支えしはじめると危ない」第2次大戦中の相場が語る危機時の値動き
もうすぐ戦後75年の節目を迎える。戦時中の株価について見ると、一貫して高値を維持していた。これは当局が徹底的に買い支えていたからだ。もっとも、当初からそうであったわけではない。日中戦争が勃発した1937年7月は、高橋財政(31~34年の高橋是清蔵相による財政支出拡大策)から続く長期上昇相場の転換点となっている。株式市場はこの戦争が「亡国の道」であることを読んでいたのだ。
政府は、株価の最低価格を決める株価統制令を出すなど、株価の下支えを行った。こうした状況下で日米戦争に突入する。『証券百年史』(日本経済新聞社)によると、「真珠湾攻撃の朝の寄り付きが前日終値を上回るよう、東証に株価操作を依頼していた」という。これは杞憂(きゆう)に終わり、株価は後場から急騰。閉塞(へいそく)感が吹き飛ぶ中、開戦後1年で47%の急伸となった(図1)。
その後は戦局の悪化に伴い、国民生活は困窮の度合いを強めたが、政府は敗戦直前まで無制限の株式購入を行って株価を維持した。この点、開戦当初のピンチでも株価下落を放置した英米は余裕があった(図2)。
こうした中、戦後を見越して、「昭和20年7月後半から製粉、紡績などの民需株が上昇、国家の買い支えで維持されている軍需株とは対照的な動きをし始めた」(同書)という。株式市場の先見性はいつの時代も的確だ。
(市岡繁男・相場研究家)
(本誌初出 太平洋戦争中の株価は高かった=市岡繁男 20200804)