大半の日本人が知らない……「福井県の水月湖」が世界の研究に決定的な影響を及ぼした理由
地学の仕事に「過去の時間を正確に測る」という大事な作業がある。日常生活で時間を計るのは時計であり、年月日や時分という単位が用いられる。そして地球が刻んだ時間を決めるのは地質学の仕事だ。それも地球科学者は10年や100年ではなく何千年あるいは何万年という時間を可能な限り正確に測定したい。
よく知られているように、樹木に見られる「年輪」では縞(しま)の1本が1年に相当し、年輪を数えれば木の年齢が分かる。夏は年輪の幅が広く冬は狭いので、その年の気候を知ることも可能だ。また年輪の枚数を数えることで、樹木の経てきた過去まで時を追いかけることもできる。
化石や遺物の年代を調べるには、それらに含まれる放射性炭素(14C)を測定する方法があるが、大きな誤差が伴う。そこで、年代を正確にさかのぼれる年輪の14Cと照らし合わせることで、化石や遺物の年代の特定につなげる方法が考案された。
ヨーロッパでは年輪を用いて、約1万4700年前まで1年ごとの「標準時計」が作られた。しかし、それ以前は氷河期によって年代を測れる樹木がないため、こうした時計は存在しなかった。
この標準時計を一気に伸ばしたのが、福井県の三方五湖の一つ、水月湖(すいげつこ)である。環境考古学者の安田喜憲氏が率いる研究者たちが1990年代以降、水月湖を基盤まで掘削し、地層を精密に解読して過去5万年にわたる1年ごとの世界標準を確立した。
白頭山噴火の記録も
水月湖の底には1ミリ以下の極めて薄い地層が45メートルの深さまで総計7万枚ほど埋まっている。静かな湖の底では細かい堆積(たいせき)物が毎年わずかずつたまる。規則正しい土の縞模様を作って1年ごとに成長するので、「年縞(ねんこう)」と呼ばれている(図)。この年縞に含まれる葉の化石の14Cを測定することで、他の化石や遺物の正確な年代特定が可能な「時計」となったのである。
ここには中国と北朝鮮の国境にある活火山の白頭山が946年に噴火した火山灰も記録されている。こうした事実は活火山の噴火予知を行う際にも非常に重要な基礎データとなる。古文書のない時代の噴火を1年単位で特定できる手段が他にはないからだ。
また、年縞に含まれる花粉や火山灰などを分析することで、過去の気候と地球環境も解読できる。さらに春、梅雨、夏、秋、晩秋、冬によって異なる堆積物が残されており、年縞を使えば縄文人の生活を1年ごとに知ることができる。
年縞が過去7万年にわたり途切れずに1年刻みで残っている湖沼は、世界でもここにしかない。近くの三方断層の活動によって少しずつ湖底が沈み続けたため、水深が極めて深く、湖底の泥層が厚く静かに保存されてきたからである。ここの年縞は「地球の古文書」と言っても過言ではなく、後に「水月湖の奇跡」と呼ばれるようになった。世界で評価される研究成果はこうした長年にわたる根気強い努力から誕生する。
(本誌初出 「地球の古文書」の年縞 7万年を刻んだ水月湖の「奇跡」/15 20200825)
■人物略歴
鎌田浩毅(かまた・ひろき)
京都大学大学院人間・環境学研究科教授。1955年生まれ。東京大学理学部卒業。「科学の伝道師」を自任し、京大の講義は学生に大人気。