日本でイノベーションが起きないのは「社員の能力開発が足りないから」というもっともな理由……社内の力関係や決裁の制約を減らさなければ新規事業は作れない
新規事業は小さく始めて実績を
大学院生の頃から、大企業、中小ベンチャー、公的機関など、さまざまな組織から新規事業の相談を受けてきた。そこで感じるのは、イノベーションという結果を志向する一方で、それを生み出す人や組織の能力開発がおろそかになっているということだ。
例えば、売上高が1兆円以上ある人材会社の新規事業として、中国人留学生に特化したインターンシップ紹介サービスをやりたいという話があった。さて、この事業は成功したとして、その企業にとってどれだけの利益をもたらすだろうか。
2019年度の中国人留学生の総数は約12万5000人。この市場規模では1兆円の売り上げ規模を持つ企業にとって、新しい収益の柱とはなり得ない。当事者は真剣に考え抜いてきたのに、そもそも中国人留学生を対象に設定した時点で、その企業にとって不適切な事業アイデアだったのだ。更に悲しいことに、後日、まったく同じ事業アイデアを別の新規事業開発チームから聞かされた。
なぜ、このようなことが起こってしまうのだろうか。それは、新しいアイデアを考え出すための訓練や経験をしっかりと受けておらず、「担当だから、なんとかしろ」と任せられてしまうゼネラリスト的な采配が原因のように思われる。
才覚ではなく能力
米ハーバード大学のテレサ・アマビレ教授は、イノベーションを生み出すためには個人と組織が十分に組織的創造性を有していることが前提だと述べている。組織的創造性とは、学術的に統一された定義はないが、主に事業において新奇で有用なアイデアや問題解決策を生み出す能力だとされる。能力ということは、生まれ持った才覚ではなく、訓練可能だということだ。
米テキサス工科大学のロナルド・ミッチェル教授らの研究チームは、ビジネスにおける熟練と能力獲得のモデルを応用して、優れた組織的創造性を生み出すための包括モデルを提示している(図)。本モデルでは、前提となる三つの主要素がないとプロセスが始まらない。
「関連する社会的主要素」とは、アイデアや問題解決策を考えるために認知的な準備が整っているのかどうかを指す。例えば、明確な目的設定や方向性の提示、期待値のすり合わせが十分に行われていないと、担当者は自分勝手な判断で動いてしまい、組織が求めていた成果を出してこない。
「イノベーションへの動機づけ」とは、担当者が当事者意識を持って主体的に動いていこうとするモチベーションだ。投資家が意思決定するときに、起業家の情熱を重要な要素としてあげるようにモチベーションは新しい何かを生み出すときの原動力となる。
「情報の網羅性」とは、新しいアイデアを考えるために必要な知識や人脈を有しているかだ。自分の全く知らない分野について良いアイデアが出ることはほとんどない。ヨーゼフ・シュンペーター博士が新結合と呼ぶように、既存にある複数の要素が掛け合わさることで新しい発想は生まれる。
これらの前提となる三つの主要素が合わさり、プロダクトのコンセプトが定まる。しかし、ここではまだ素案でしかないため、より具体的なアイデアや計画へと作りこむ必要がある。コンセプトを洗練させていく過程において、その品質を左右するのが二つの調整変数である「コンセプト開発能力」と「コンセプト評価知識」だ。
コンセプト開発能力とは、アイデアや問題解決策を考える思考能力だ。伝統的に、自由闊達(かったつ)に飛躍的な発想を行う「拡散的思考」と論理的・批判的に物事を考える「収束的思考」がバランスよく発揮されることで、新奇で有用なアイデアや問題解決策を考え出すとされる。
コンセプト評価知識とは、考え出されたアイデアが適切なモノかどうかを評価するための知識を有しているかどうかになる。つい、私たちは自分たちのアイデアは良い物かどうか他人からフィードバックをもらいたいと考えがちだ。しかし、そのフィードバックが適切かどうかはわからない。特に、会社での承認プロセスではなおさらだ。
このようにプロダクト・コンセプトを洗練させていき、十分にアイデアの新奇性と有用性を高めるプロセスが組織的創造性に求められる。
社内の制約減らせ
優れた組織的創造性を発揮するためには、企業や個人が三つの前提と二つの調整変数を高い水準で身に付けている必要がある。そして、これらの五つの能力は訓練可能であり、これまでの経験と学びがモノを言うところでもある。それでは、企業は新規事業を開発したり、事業上の問題を解決したりするために従業員の能力開発をしてきただろうか。
ここで一つ注意しておきたいのが、訓練のために事業プランコンテストを実施することはお勧めしない。サイバーエージェントが15年に廃止したように、事業プランコンテストは新規事業を作るのに適してはいない。同社が代替策として社内全体からアイデアを吸い上げるようにしたように、誰でもいつでも小さいところからスタートできるようにするほうが効果的だ。
特に、企業では新しい何かを始めようとすると、どうしても社内の力関係や稟議(りんぎ)の問題などの制約が出てきてしまう。こういった制約を少しでも減らすためにも、小さく始めて、実績を作ることを勧めたい。そうやって、小さく始める事業を数多く作り、組織と個人が経験を積むことが将来の大きなイノベーションに結びつくだろう。
(碇邦生・大分大学経済学部経営システム学科講師)
(本誌初出 イノベーションへ創造性を鍛えよ=碇邦生 20200929)
■人物略歴
碇邦生(いかり・くにお)
1983年神奈川県生まれ。2006年立命館アジア太平洋大学を卒業後、民間企業を経て、神戸大学大学院を満期退学。15年からリクルートワークス研究所で採用と人事制度の実態調査を中心とした研究プロジェクトに従事した。17年から現職。専門は人材マネジメント論。
本欄は、花木伸行(大阪大学教授)、碇邦生(大分大学講師)、吉田裕司(滋賀大学教授)、生稲史彦(中央大学教授)、高野久紀(京都大学准教授)の5氏が交代で執筆します。